どう見ていいのかわからない…?(2)

およそ3年前、まだじふな〜ことキム・ジフン김지훈@TWO TWOがご存命の頃、

第一弾をお送りした「変なMV特集」の続編です。
いや、そんなタイトルじゃなかったですけどw

うーん、自分としては、よんとくす엉턱스클럽あたりの

妙なキモさを共感していただきたかったのですが、

実際に皆さんにご覧いただいたのはどうやら「中華飯店」ばかりらしいw

いや…いいんです、いいんですとも。お楽しみいただいてなによりです。

 

まあ、基準は私の気持ちの持ちようです。(キッパリ)

私の気持ちがいろんな意味でザワザワする、特に演出やシチュエーションに。

例によって古い曲ばかり並ぶので、ああこんな曲があるのねー、くらいに

ご覧いただければOKです。へへ。

 

●TOY 「여전히 아름다운지」相変わらず綺麗なのかい

よぬっちことキム・ヨヌ김연우がテレビで今もよく歌う歌です。

昨年「覆面歌王」でサンドゥル@B1A4 と歌ったというと

わかる方が激増する…かな?

TOY4集に収録された名曲ですが、このMV(の一部)はないよね…と

15年以上たった今も思います。

どこかわかりますよねw

ひよりんことユ・ヒヨル유희열、この頃こんな暗いイメージで

売ってたんだったかなあ。今じゃいいおとっつぁんですが。

 

●015B 「아주 오래딘 연인들」 長いつきあいの恋人たち

「ここまでエフェクトなしで低予算なのも…」とか書きましたが
低予算の部分だけなら今見るとどっちもどっちです。とほほ。
まあそれほど馬鹿馬鹿しくないからいいですよね。ははは。(ひいき目)
当時気になった記憶がないのでそれが不思議なんですけど、
この頃の015Bにはまだベースのチョ・ヒョンゴンがいたのに、
このMVには登場してないんです。
あと、後ろのバックコーラスの一番右の男性は誰??
因みに客員歌手はユン・ジョンシンの高校の同級生キム・テウ김태우。
というかですね、コレ、当時としては超珍しかった、
015Bのライブ収録を中心とした音楽ビデオに収録されたMVです。
MVそのものが殆ど無い上、音楽ビデオ(VCD含む)そのものが
ほぼ無かった時代にそれを作った015Bはけっこうエラかった。
(その前にピョン・ジンソプ변진섭が作ったのがあります)
しかし015Bは数年後に一念発起し(たかどうかは不明だけど)、
当時のMV史上最高額の予算を組んで制作に臨んだのです。
それは結構な大作なのでここでは紹介いたしません…。

 
●キム・ヒョンチョル 김현철 「일생을」一生を

私の知っているキム・ヒョンチョルの中で、
たぶん最も痩せていた時期のMVであります。
デビュー直後に大病を患った後かこの時期か、という感じ。
いや、記憶の中以上に痩せてるんで改めてびっくりです。
私が大好きな5集(1996)「冬夜冬朝」収録のタイトル曲。
ぎええ、もう20年前なのか…(衝撃)
歌詞も曲も歌い方も切なさ全開のヒョンチョル節炸裂な曲で、
MVもレトロなトーンでまとめていて素敵です。
素敵です。
…でもそれに騙されてはいかんのです。
歌の内容とMVが一致する必要はありませんが、
発展的な映画の撮影を少年時代に覗き見、
を更に大人になって思い出す、というシチュエーションが
当時非常に背徳的な香りがして身悶えしたものです(大げさ)。
コケティッシュなお姉さんたちに必要以上にデレデレする
幼少期のヒョンチョル少年(設定)がいかがなものかと。
しかも最後は無下に扱われるし…。
…ええ、気にし過ぎなのはわかってますけども。


 
●Baby VOX 「YAYAYA」

…再掲な気がする。でもまあいいや。

センターのカン・ミヨン간미연さん、顎が丸いです。可愛いのにねえ。

”女H.O.T”のふれこみでデビューしたものの、

ファーストアルバムで見事大ゴケしたBaby VOXは、

セカンドで大掛かりなリニューアルをして再起にかけます。

その甲斐あって↑の曲がヒットし、なんとかクビがつながって、

3集で更に急展開したセクシー路線が大当たりし、

2004年まで続くこととなったのです。

だから…わかる。必死なのはわかる。

でも必死すぎないか…?なんか痛々しいを通り越して、

悲壮感すら漂っていませんか…。

この曲で出始めた頃、歌番組の公開放送を見に行った友人が

「金魚ちゃんたち、すごく頑張ってた」と言ってたのを思い出します。

MVの中ではピンクのひらひらした衣装、

テレビでは黒とかで、まるで金魚のようだったんですよね…。

これを逃したら次はない、という覚悟のようなものを感じます。

個人的には、目がいっちゃってるシム・ウンジン심은진さんが

これより後の曲では普通のお姉さんになっていったのが残念でした。

 

そーいやこの頃(1998)、UFOがらみのMVが多かったなー。

 

●イ・スンファン이승환 「사랑하나요」愛してますか

優しいファンなら触れないで過ごすのですが、

まあ私はあんまり優しくないファンなのでw

それでもずいぶん長いこと、

触れずにここまで来ましたがついにネタにしてしまいました。すみません。

曲としては、今でもずーっとライブで演奏されてますし、

3月の東京公演でも勿論やりました。紙吹雪を飛ばすアレですね。

2枚組の7集「egg」のうち、ポップス路線の「Sunny side Up」に収録されています。

このアルバムは後にこちらの1枚だけ単独でも発売されています。

可愛い曲ですよね。歌いやすいし、彼のほのぼの路線曲としては

これからも長く愛される曲になると思います。

だからってーわけじゃーないですけどねー…ww

最後の方になると、見てる方が「どうしよう…」と思ってしまいますね(爆)

なんせ歌詞が

「僕も君を愛してる 君よりもずっとずっと長く

 一生笑っていさせてあげる 僕たちふたりで一緒に暮らしたら」

…なもんで〜。

 

どうしてくれるんですか、工場長w

 


コレで検索していただきました!

今回本文とは全然関係ないw
キム・ジェドク김재덕 @ Sechs Kies and J-Walk

 

相も変わらず毎日毎日、SECHS KIES ジェクスキス 젝스키스 で検索して

こんなところまでいらして下さる皆様、ありがとうございます。

正直言って想定を遥かに越えるチェッキー祭りっぷりなので、

なんかもう申し訳なさすぎる…。

サービス精神が案外旺盛な方な私なので、こんなに来ていただくと、

またチェッキーネタでなにか書いてしまいそうですがとりあえずここは置いといてw

たまには(…。)他の語句で検索していらして下さった方にも

お応えしようかと思います。(うう、それほどチェッキーでいらっしゃる方が多いのだ)

結構何度も同じ語句で検索されているのに、MVも掲載してないような曲もあるもので…。

そういう”検索された曲”をいくつか改めて並べてみたいと思います。

でも総じて、いらしていただいている検索語はそれなりにニッチですw

 

●キム・ヨヌ김연우「사랑한다는 흔한말」愛してるというありふれた言葉

もう6年前になるんですねえ。

TwitterかFacebookかどっちで見たか忘れましたが、

ユン・ジョンシン윤종신 が「君はホンモノの歌手だ」という

コメントとともにリンクしていた動画です。

急いでリンク先を見に行ってちょっと感動した覚えが。

漢陽大学の学園祭かなにからしいですが、

屋外の簡易ステージで雨まで降って、傘をさして、

それでもこんなにしっかり歌うよぬっち、すごいよよぬっち。

 

 

ホン・ソンミン홍성민 「기억날 그날이와도」思い出すその日が来ても

およそ3ヶ月遅れでKBS「不朽の名曲2 作曲家オ・テホ編」が

日本でも放映されたようで、

だからなのか今月に入ってから急に検索が増えた曲です。

番組でチョンイン정인が歌いました。これがオリジナル。

「応答せよ1988」OSTではNC.Aが歌ってます。

これとイ・スンファン工場長이승환「기다린 날도 지워질 날도」の因縁については、

番組でもご本人が語ってらしたとおりで、

セールスや人気的には工場長曲の方がはるかに上なわけですが、

こちらの方もこんなにも長く歌い継がれる歌になりました。

ホン・ソンミンは2007年7月末、飲酒中に脳出血を起こし、

一週間ほどの入院の末に亡くなりました。43歳でした。

 

 

●キム・ドンギュ김돈규 「단」ただ

今年、JTBC「シュガーマン」に出演し、

その最終回(7月12日)にもビデオ出演してましたが…

なんか怪しいおっさん感満載で心配になりました…。

彼が015Bの客員歌手としてデビューしたのは93年のこと。

4集、5集とメイン曲のボーカルを担当して、

特にナミ나미のヒット曲「슬픈 인연(悲しい縁)」をカバーしたのは

恐らく本家ナミより(たぶん大元の橋幸夫曲より)

015Bバージョンの方が一般的に知られていると思うほどヒットしました。

このへんのことはこちらにも書いてます

実際に検索があったのは↑の曲ですが、

↓も載せておきましょう。実は「橋幸夫 悲しい絆」の検索語の方が

015Bより多いんですけどねw

 

●015B 「슬픈 인연」悲しい縁

デビュー当時からキム・ドンギュは笑わない子で、

彼の笑顔は全然思い出せないです。


因みに、これ↓も最近検索が多い。↑と同じアルバムに入ってる曲です。

 

●015B 「단발머리」おかっぱ頭

 

客員歌手は美人の嫁さん(女優チャン・ガヒョン)と子供達に囲まれて

幸せな人チョー・ソンミン조성민。

原曲はチョー・ヨンピル조용필です。当時としては掟破りのカバーでした。

タンバルモリ、は短髪ではなく断髪の方。

ただし短髪でも間違いではないのですが。

ま、ほら、ニュアンスってやつですよ。ほほほ。

 

 

●シム・シン심신 「오직 하나뿜임 그대」ただ一人の君

この人は今でもテレビとか出るとこれを歌うので

(数ヶ月前に「覆面歌王」にも出ました。そろそろ日本で放映したでしょうか)

今の方がよっぽど歌がうまいし振り付けもオーバーだしw

エンタメ性はあるんですけどなんせ検索語が

「韓国 懐メロ たった一人の君」なのでw当時の映像でお送りします。

当時のトップアイドルですから!

さて、韓国では昔の恋愛スキャンダルとかは

あんまり蒸し返さない風潮があるような気がしますが、

私は韓国人じゃないんで蒸し返しますと(以前にも書きましたが)。

この方、恋多き元祖アイドル カン・スジ강수지さんの元カレだったわけですけど、

実はそのとき、別の人気歌手とスジさんを争って、選ばれたのがシム・シンだったとか。

で、そのもう一人の歌手というのが、

○91年も今も現役の歌手 ○あるジャンルで押しも押されもせぬトップ歌手である

○眼鏡をかけている

  …んだそうですよ…。

私は2人しか思いつきませんでした(爆)

さて、誰でしょうか。ははは。

 

 

 


しつこくSechs Kiesについて語る。

この2ヶ月ほどでSechs Kies(チェクスキス、ジェクスキス 젝서키스)の話題が

あっという間に日本でも相当広がったようで、

毎日毎日沢山の方に検索してきていただいて本当に驚いています…。

ありがとうございます。

 

あっと驚きのゲリラコンサートから二ヶ月半、

MBC「ラジオスター」、KBS「ユ・ヒヨルのスケッチブック」

SBS「ファンタスティック・デュオ」とチェッキー젝키としての出演が続いていて、

ついうっかり追っかけて見てました…。

「スケッチブック」はここのところの活動の、

最後のテレビスケジュールだったそうで、

とりあえずこの一連の再結成イベントの集大成といった感じでした。

ラストの「Couple」はまさにフィナーレってとこでしょうか。

まあそのうちまた出始めるでしょうけども。

 

●Sechs Kies 「Couple」(ユ・ヒヨルのスケッチブック)

歌手とファンがこんなに幸せそうなステージというのは

そうそう無いかもしれないので、つい何度も見てしまいました。

いやあまさかね、私もチェッキーに癒される日が来るとは

90年代には思ってもみませんでしたよ…。

 

最後の右手をシュピっと上げるところで毎回目頭が熱くなりますw

チェッキーはデビュー前、あんな風に”シュピっ”と手を出して止めるのを

集中して練習させられたそうです。

軸がぶれない、ダンスの基本なのだとか。

ウン・ジウォン은지원はH.S.g.Rの時も膝痛をおして頑張ってましたが、

やっぱり取り組み方が全然違いますな。

H.S.g.Rは全員が同じ年で楽しくやってる雰囲気が強く伝わってきましたが、

チェッキーではなんつったってカリスマ担当の絶対的リーダーですから。

そういえば昔、ウン・ジウォンって袴田吉彦に似てるって言われてたなあ(関係ないけど)。

前回も出て来た「TURBO CLUB」のスター名鑑によると

ウン・ジウォンの呼称は「マシュー(でも殆ど呼ばれてなかった)」、カン・ソンフン강성훈は「ミッキー」。

これっていったいなんじゃらほい、ですが、2人がハワイで使っていた英名だったですね。

でも、カン・ソンフンはどっちかというと「にこちゃん」と呼ばれていました…。

 

…そのまんまじゃん…。

 

 

 

90年代3大にこちゃんの一人。

あとの2人はペ・ヨンジュンとソン・ホヨン。

 

私はH.O.Tからチェッキーに転んだ派でしたが、

メンバーの中に特にこの子が好き!というのはいませんでした。

ただ、カン・ソンフンが歌いながらいつもニコニコしているのが

実はどうしても苦手でした。

最初にチェッキーに入って行けなかったのもその理由です。

たぶんあんなにニコニコしてなくて、黙って神秘主義を貫いていたら、

普通に男らしい顔立ちなのでそれほど目立たなかったかもしれないし、

チェッキーの可愛いパートはキム・ジェドク김재덕がひとりで担ったかもしれません。

 

2010年代にはいって、兵役関係とか詐欺関係とか色々な事件が彼に起こって、

ようやく地上波じゃないけどテレビにも出られるようになってから、

彼は自分の母親と数日間、カンボジアを旅するという番組に出演しました。

ちょうど1年前に放送された番組です。

 

 


初代TWO TWOが再結成した日。

先週はSECHS KIES(チェクスキース、ジェクスキス)젝스키스が出演した
MBC 「RADIO STAR」と、いつもに増して懐かしすぎるJTBC「シュガーマン」、
この2つの番組を繰り返し見てしまいました。
チェッキーはやっぱり未だに感慨深いですねー。
3年くらい前のブログでは、当時大好きだった「20世紀未少年」のH.S.g.RGの記事中で
再結成できそうなのはH.O.Tくらい…とか書いたのに、
g.o.dにもチェッキーにも抜かれてしまった…(NRGはしばらくナシでしょー)。
Radio Starは数ヶ月遅れで日本でも放映されてるそうなので(m-netかな?)、
黙ってたらカッコいいウン・ジウォン은지원とか、
踊ってたらカッコいいイー・ジェジン이재진とか、
相変わらず素人感満載だな!なチャン・スウォン장수원とかをまとめて楽しめます。

で、今回のメインイベントは「シュガーメン」(m-netでやってるのね)の方。
毎回、いやーたぶん今のK-POPファンどころか、90年代アイドル世代以降は
こりゃわかんないだろうなあ…な歌手だの曲だのを登場させて、
主に客席の30代、40代を涙目にさせている番組ですが、
今回はマジでその世代のみに焦点をあてたとしか思えない人選で、
Y2K、S#arp、U-PそしてTWO TWOが登場したのです。
しかもTWO TWO투투は2年半前に亡くなったじふな〜ことキム・ジフン김지훈以外は
なんとオリジナルメンバーじゃありませんか!
TWO TWO は2集、3集とメンバーチェンジし、
3集では既に当初客員ボーカルでしかなかったファン・ヘヨン황혜영だけしか
残らなかったので、まさか初代メンバーが出てくるとは!
(かといって、2集・3集のメンバーに出てこられてもそれは…)
だからじふな〜亡き後、再結成のさの字も
思い浮かべた事はありませんでした。いえ、存命中も…です。ええ。







キャロルアルバム
「Roo'Ra&TWO TWOのクリスマス」
より。
当時の韓国でのレゲエの捉えられ方が
よーっくわかる1枚の写真です。

ぬおおー
ファン・ヘヨンはともかく、オー・ジフン오지훈がいる!
全盛期のしんくんことシン・ジョンファン신정환に、
僕が一番シンパシーを感じるのはTWO TWOのオ・ジフンなんだよね、と言われたオ・ジフン。
TWO TWOのファーストアルバムの曲を全部書き、セカンドのヒット曲「浮気娘바람난 여자」を書き、
つまりTWO TWOのヒット曲は全部この人が書いたというオ・ジフン。
なのにひき逃げで捕まってクビになっちゃたオ・ジフン。
数年前、大病して入院中…まではわかったんだけどその後が一向に不明だったオ・ジフン…。
それがすっかり元気になって出て来てくれて安心しましたよ。
(因みに上の画像では後ろの左から二人め、しんくんの肩に手をかけてる人)
あとの一人ユ・ヒョンジェ유현재はあまりに変わってなくて驚きました(それだけか!)。

じふな〜の位置を勤めたのはINFINITEのナム・ウヒョン남우현。
オリメンと4人で「11/2 일과 이분의 일」を歌った後、
じふな〜の生涯の愛唱曲だった「그대 눈물까지도」をひとりで熱唱。
彼の歌がどうというわけでは全然ないけれど、
やっぱりじふな〜は唯一無二の声の持ち主だったなあ…と改めて思った次第です。

●TWO TWO with ナム・ウヒョン「1&1/2」


●TWO TOW 「1&1/2」オリジナル。


●TWO TWO 「그대 눈물까지도(君の涙までも)」

ドラマ「応答せよ1994」でもじふな〜が亡くなった翌日放送分にBGMで流れたそうです。
あとはFT ISLANDがカバーしてるのが知られてるかな。
↑の曲が最初はデビュー曲になるはずでした。
映像を見ると、というかアルバムを聴くと確かにTWO TWOは男子3人のバンドだな
というのがよくわかると思います。

なんとも、切ないねえ。

 


家族(イー・スンファン)

夜遅くに道を歩いて
疲れた1日を振り返ってみれば
いつでも僕を迎えてくれる深い闇と
静かに休む家族達

時には重荷になることもあったよ
大きな期待と失望のせいで
いつもそばにいるから
いつも離れたくて

どうすれば自分が
両親に気に入られるのかがわからなかった
愛するこの胸の内をただ
言いたいだけなのに気まずくなるばっかりで

たいへんな1日をおくった家族達の低い寝息
小さい頃に面倒をみてくれた
姉さんのありがたい思い出がある

家族でも知り得ない話
離れたところで寝返りをうつ淋しさが
悲しくなるばかりだよ
特に理由もないんだけれど

すごく意地悪だった僕のために
いつも我慢してくれた兄弟たち
愛するこの胸の内をただ
言いたいだけなのに気まずくなるばっかりで

つらくて休みたくなった時には
僕の慰めになってくれる
あの時は重荷 今は力になる ありがたい人たち

どうすれば自分が
両親に好かれるのかわからなかった
愛するこの胸の内をただ
言いたいだけなのに気まずくなるばかり

愛してるよ 僕たち ありがとう みんな
今まで僕を守ってくれた愛
幸せにならなくちゃね
苦しみのないところで 永遠に一緒にいようね

愛してるよ 僕たち ありがとう みんな
今まで僕を守ってくれた愛
幸せにならなくちゃね
苦しみのないところで 永遠に一緒にいようね


 イ・スンファン「家族」   이승환 「가족」

今日は父の命日でした。
既に10数年経つと正確な日にちも忘れかけてました(とほほ)。
最近、知人がお母様を亡くされ、お通夜に伺ったのですが、
私より年上の方なのに、一目をはばからず号泣されるのを見て、
自分が母の通夜の時はどうだったかなあとそれすら思い出せませんでした。
まだ3年半しか経ってないのに。
ちょっと反省したので、「家族」を訳してみました。
あまり推敲していないので(すみません)、
後々、こっそり替えてる可能性、大です(よくやってます)。

↓は本文とは全然関係なくて、
シンソンナ(SingerSongWriter)のソン・ヒラン송희란。
なんでかしらないけど、ちょうど3年前にこの写真を保存していましたw


イー・ジェジン Lee, Jae Jin


イ・ジェジンといえばチェッキーでしょ!

 


90年代、韓国音楽…というよりアジア音楽ファンのコミュニティは異様に狭くて、
たいてい誰かと誰かがつながっているものでした。
ちょうどインターネットが自宅に入り込んで来た時期とも重なって、
テキスト中心のファンサイトやBBS活動、メーリングリスト活動が盛んになったのが97年頃。
オフラインミーティング(オフミ)も盛んに行われて、
私も毎月数回、どこかのアジアカラオケに乗り込んで行ったものでした。
その頃、神サイトとして沢山の方に利用されていたTURBO CLUBというのがありまして、
(今もあります)
そこのBBSではアイドル達に情け容赦ないニックネームをつけて呼ぶことがありました。

 気がついてたら知らないとこでも使われるようになっててびっくりだったのとか
   例>たっくん(Country Kko Kkoの人) しんくん(Country Kko Kkoの人)
     (↑まあ誰でも考えるよね…)
 絶対よそでは通じないよね的なのとか
   例>ゴロー(Position)
 悪意以外無いような気がするのとか
   例>じへば●(S#arpの人) アブノイ君(S#arpの人)八重歯(S#arpの人)

しかしなんと言っても一番愛されたのは、
SECHS KIESのチャン・スウォン장수원 の「素人」だったと思います。
「素人君を心配する会」略して素心会(ソシメ)という集まりもできたくらいです。
思えばH.O.Tはその手のニックネームがなかったのに比べ、
チェッキーは素人・演歌・親方と3人ついていたんでした。
いやだからなんで演歌だったのかな…。立ち居振る舞いが演歌っぽかったんだろうか。

(追記:管理人に確認したら、矢っ張り「演歌を歌わせたら似合いそうだったから」とのことでした)
イー・ジェジン이재진がなんで親方なのかというのも最初わからなくて、
友人に聞いたら「ダンスの親方です!」と教えてくれました。あ、なるほどw

そんなジェジンが髪の毛を青くしていたのは、チェッキーの黒歴史
映画「セブンティーン」でのことでした。
ほんとに青。真っ青。マットな青。
実に見事な青い髪の毛でした。
これに感化された私は、当時、青いメッシュを入れるヘアマスカラを買いましたw
(全体を染める勇気はなかった)
この青い頭のジェジンは絵描き心をくすぐるようで、
韓国のサイトで画像検索すると、
ファンが描いたイラストがいくつもでてきました。
写真を見てというより、そっちを見てつい描いてみたくなったのが上のイラストです。

そーいえばこの人、2000年代に、
POP ASIA誌にコラムの連載を持っていましたね。
あれはなんだったんだろう…。

 

 


SECHS KIES「COUPLE」

とにかくここ数年来、このブログの検索語でぶっちぎりに多いのが
「SECHS KIES」「ジェクスキス」「チェッキー」(他にも表現あり)など、
チェッキーに関する単語です。
最初のブームは「応答せよ1997」が日本のテレビで放送された頃。
以来、ずーっと毎日どなたかが検索していらっしゃるので、
今ではGoogle先生でSECHS KIESなどの文字を入れると、
おかげさまでこのブログのこの記事が出て来るようになりました…。
最近1ヶ月では、やはり「無限に挑戦 トトガ2」ですよね。
私も張り切って3回見ました。途中、3回くらい目頭が熱くなりました。
なんというか、5ヶ月間も頑張って練習した成果がちゃんと出てるのが素晴らしい…。

民俗村を含むゲリラコンサートの模様は、
当日会場に行ったファンが撮影した動画がいっぱいあるので、
放送で流れなかった曲もいくつかあるためそちらでチェックしてください。
チェッキーの6人のうち3人は、ずーっと現役で歌手やタレント活動してるけど、
残りの3人も含め、それなりに体型管理がちゃんとできてるところが
ちょっと感心いたしましたねえ。
(むんひずは見習うべし)

そんなチェッキーの「代表曲」とカン・ソンフン강성훈が言ってたのがコレ
この15年、私が最も沢山日常で口ずさんだ歌

●커플 Couple

最後どうしたんだ!なにがあったんだチャン・スウォン장수원!!

サビは当時も今もやっぱり「ほら、雪が降る」と歌いたくなってしまいます。
「はひふへほ」は「あいうえお」の強い音なのだそうですよ。

そして、10年以上経って、Coupleというと思い出すのがこの↑衣装です。
しかもセレブ感演出しまくりのコ・ジヨン고지용のコートと手袋。
その印象があまりにも強くて、
ウン・ジウォン은지원が何を着てたかはすっかり忘れてました…。
ジヨンといえばクォンじゃなくてコ、な世代の私ですが、
当時彼がなんで(日本の一部のネット上で)「演歌」と呼ばれていたのか、
どうしても思い出せません…。あはははは。
今では普通の社会人となったコ・ジヨンですが、
とにかくセレブなチェッキーのソウル組(あと釜山組がいる)にあって、
更に群を抜いてイイとこの子だったんです。言ってみれば金持ちのボン。
当時まだ、アイドルそのものの年齢層が下がって来たばかりだったので、
クラブDJ出身だのバックダンサー出身だの、妙に年上感満載の歌手が多い中、
お育ちの良さ感を出してくる少年アイドルが増えてきたのもこの頃でした。

じよんと言えばコ・ジヨン


でもって、この曲、結構(いや相当)有名で知られている曲だと思うのですが、
カバーしている歌手が殆どいません。
ソン・ダムビ손담비&J-Walk、カン・ソンフンというチェッキーがらみの2件以外では
キム・ジャンフン김장훈が豪華なメンツでカバーしているくらいです。
私、この曲が聴きたくてアルバム買いました。
●キム・ジャンフン Couple


1998年の冬を人々が語るとき、この曲を一緒に思い出すようになるだろう…
というようなことを当時POP ASIAに書いた覚えがあります。
98年の冬のことを語ることなんて殆どありませんが、
そうでなくても人々の心には残る曲になったんじゃないでしょうか。

<COUPLE>  SECHS KIES

前よりも今の君の方が もっとずっと好きなんだ
僕のぽっかり空いたところを君がいっぱいにしてくれたから
美しいこの世界 淋しい思いばかりをしながら
自分の半分を探し求めたのも もう昔のこと

一生涯この時間だけを どれだけ待ち続けたんだろう
まるで夢みたいだよ
もう僕はひとりじゃない 君と一緒にいるのさ

Oh Love  淋しすぎた僕のところにやっと来てくれたんだね
Oh Love    愛してる これからの時間ずっと僕と一緒に過ごそうよ

どんなに長い日々を待ち続けて来たことか
みんなの前でしっかり手をつなぎ
僕たち一緒にいるんだよ

Oh Love  淋しすぎた僕のところにやっと来てくれたんだね
Oh Love    愛してる これからの時間ずっと僕と一緒に過ごそうよ

過去のことなんか全部忘れて
僕と過ごす沢山の時間で思い出をつくろう

Oh Love  淋しすぎた僕のところにやっと来てくれたんだね
Oh Love    愛してる これからの時間ずっと僕と一緒に過ごそうよ







 

これが最初のお仕事でした。(ソテジワアイドゥル日本盤のこと)(3)

今回、このネタを書くにあたって、当時(94年)の原稿や
掲載誌紙を久しぶりに探し出して読みました。
結構面白いw 自分のだけじゃないですよ。いろんな記事が。
ネット記事はいつのまにか消えていることが多いので、
紙媒体はやっぱりいいなあと再認識しました。
…しかし、場所をとる…。
それ以上に場所を取っている当時の韓国音楽雑誌の山…。
誰かデジタル化してくれないものか(無理)。

同時に、90年代中盤から後半、いくつかの韓国ポップス愛好サークルに
参加していたのでその会報も読み返しています。
これがもっと面白い!濃い!!
主催の方がポケットマネーで印刷・配布してくださってたり
(Cさんその節は本当にありがとうございました。)
しょっちゅうみんなでカラオケ行ったり
(Fさん本当に楽しかったですありがとう。)、
今は殆どの同志の方と連絡が取れなくなっていますが、
超超ディープな世界がそこにはありました…。

で。なんでかわからないんですけど、
私の元にはユン・ジョンシン윤종신の生写真が
なぜかものすごくたくさんある…。(全ていただきもの)
いろんな方が、イベントやライブで撮ってきた写真を
送って下さったのです。

よほどみんなにファンだと思われていたらしい…。
いや、ファンなのは確かですが…。
うーん、当時もなんでだろう、と思ってましたが
改めて見ると本当になんでだったんでしょう。
そんなに私、ユン・ジョンシンファンアピールしてましたっけ??


さてさて、本編に戻ります。
今回でちゃんと終わるでしょうか…(不安)
前振りが長過ぎるのはわかってます、わかってますけども(^^;)。


新宿プリンスホテルでテジ君に対面した私は、
真向かいに座ってる私と担当さんの顔を全く見ないテジ君に、
一抹の不安を抱きながら「내 맘이야」の歌詞を差し出しました。
(その前にいた喫茶店で急遽書いたものでした)

まずテジ君がしたことは、
その歌詞の上に鉛筆(その場で誰かに借りたと思います)で
「내 맘이야」と書き加えることでしたw

歌詞直されてます…すみません。

で、この歌詞の意味が正直よくわからないんですが…と申しましたところ、
その時のテジ君によりますと…

「特に意味があるわけじゃない。
自分が、心のままに、好きなようにやりたい、言いたい、そういうこと」

ということでした(かなり強引にまとめました)。
そこからタイトルが「オレの勝手だろ」になりました。

あ、そうですか…あんまり意味ないの?え?はあ…

更に「韓国でもね、歌詞がわかりにくいって言われてるんだよね」。
あ、そうだよね…そのとおりだと思うわ…。
結構支離滅裂だもんね。

そこで担当Aさんがこんな提案をされました。
「サザンオールスターズの曲にも、歌ってるんだけど歌詞が普通に書いてないのがあって、
そういうふうに記号で埋めるのはどうかな?」
しかしテジ君はそれには
「ちゃんと歌詞があるのに載せないなんてのはダメ」ときっぱり。
同時に、元々の歌詞カードが金文字印刷で読みにくいから
色を変えたいとの提案にも
「韓国ではそれは言われた事ありません」(きっぱり)
それは韓国人は聞けばわかるからじゃないのか!!w
おとなしそうなつるんとした顔をして、
(結構きつい口調で)バッサバッサと斬りまくるテジ君に
私もだんだんと圧倒されて、この場にいることを後悔し始めた頃に、
じゃあこの歌の訳詞をどうやったのということになり、
通訳の宋嬢を交えて検証することになりまして、
テジ君の鬼っぷりが発揮されることになりました。

まず、テジ君が1行ずつ歌詞を読み、私が訳詞を読み、
それを宋嬢が間違った表現ではないかを判断し、テジ君に伝える。
それを聞いたテジ君が「それ違う」とダメ出し。
宋嬢が私にこういう日本語にして下さいと伝える…

ちょっと無茶苦茶ややこしい作業でした。

私はそれまで(も今もですが)、訳詞とは
翻訳だけど歌の詞だから、読む時の調子とか、
詩的あるいは詞的な表現が大切だと思っていました。
中国のCDの翻訳をいくつか手がけている私の姉や知人も、
大事なのはそういう表現だと言っていましたし。
でもテジ君は詞的な表現ではなく、
即物的な直訳、逐語訳を要求してきたのです。
例えば、내 맘이야の場合、冒頭の
「그런데 지금 나는 TV를...」を「さて今僕はテレビを…」と訳したら
「ところで今僕はテレビを…」に直されるとか、
「나가볼꺼야」は「出かけよう(意志)」ではなくて
「出て行くぞ(強い意志)」に、
「난 신문을 보면 눈이 뒤로 돌아가」は
「新聞を見ると目が(後ろに)回る」ではなく
「新聞をずっと見るとアタマがおかしくなる」に。
確かに中国語よりは韓国語の方が、日本語に構成が近いので、
ちょっとの語尾の違いがニュアンスの違いが明らかになるんですね…。

そうしてこの曲だけで、15箇所以上の直しが入りました。
ただ、その直しの半分くらいは、
今見るとわかるんですが要するに、
テジ君がどういう気持ちでこの詞を書いたかを説明してるんです。
逐語訳だけどそうでもない部分(↑の新聞のくだりとか)もあり、
あ、そういう意味なのね…と20年ぶりに納得したところが多いです。
時間が経つって大切ですね〜〜〜。


次にとりかかったのが「渤海を夢見て발해를 꿈꾸며」。
民族分断をとりあげた社会的問題作と言われた曲です。
私は慣例により우리 (一人称複数)を「僕たち」と訳しましたが、
テジ君は「もっと強くて難しい言葉がいい」というので「我々」になりました。
いやー、ちょっと「我々」ってアンバランスですよね…。
でも鬼のテジ様のご指定です。
「알고 있나」は「わかってるの」じゃなくて「わかっているの」に、
「우리가 서로 손을 잡은 것으로 큰 힘인데 」は
「互いに手をとりあうのが大きな力になるのだから」が
「互いに手をとりあうだけでも大きな力になる」に。
この時のテジ君のなにが鬼かって、
指摘の仕方が結構…かなり…えーと…
き、きつかった…。
たぶんその日は忙しすぎてかなり機嫌が悪かったと思うのです。
衣装にメイクのままであちこちの取材に飛び回って、
こんなアホの訳詞にまで付き合って。
なんだか申し訳なさで一杯でした。

でも「시원스레 맘의 문을 열고」の部分では、
自分の着ているジャケットの打ち合わせを両手でぱっと開いて
「こういうこと」と教えてくれもしました。
서로를 겨누고 있고(互いを狙っている)の部分では、テジ君が、
ライフルを構える真似までして「銃で」狙う、を強調して
その単語を入れる事になったり。
最初の頃はギクシャクしていた作業も
だんだんと滑らかに進むようになってきたのです。

このくらい進んでくるとちょっと気になったのが、
通訳の宋嬢が自分なりの見解をちょくちょくはさむことでした。
日本語と韓国語は非常によく似ているけれど、
それでも全然そのまま表現できない言葉は沢山あります。
それを補足してくれるのはいいんだけど、
韓国語詞と日本語詞を両方聞いてしまうことで互いをつい補ってしまう…
そういうことが起きていたわけです。

「渤海」が終わると次は「子供達の瞳で아이들의 눈으로」。
この曲はそんなに難しくなかったのでトントンと進みました。
が、それでも直しがはいるはいる。
歌の最後に
「모두를 사랑하지요. 우리와 함께 있어요.
모두를 사랑하세요 .사랑을 주세요」という詞があります。
사랑한다 というのは実はけっこう訳しにくい言葉で、
愛なのか恋なのか、사랑을 한다 は愛をする?愛する?とか
前後の状態であれこれ考えなくてはならない言葉なんですが、
これを最初は
「すべてを愛そうよ 僕らと一緒にいよう
 すべてを愛そうよ 愛しておくれよ」と訳したのですが、
「すべてを愛してる 僕らと一緒にいよう
 すべてを愛してよ 愛を伝えてよ」へと変更になりました。

愛そうよ→愛してよ、はその通りです。
でもなんで사랑을 주세요(直訳・愛をください)が
愛を伝えてよ、なのかは…それはテジ君の御心のままに、としかw

次の「教室イデア교실 이데아」を始めたとき、
テジ君は次の取材時間が迫って来てしまい、移動しなくてはならなくなりました。
ええ…! 困ったなあと思っていたら、
帰国までの数日の間に、もう一回場を設けて作業をしましょう、
ということにしていただいたのです。

 
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