2007年9月の記事。

前に書いてからまだ1ヶ月くらいしか経っていない気がしていましたが、

よく見たら3ヶ月近くも経っていてドびっくりでした…。

 

前回の記事をちょっとばかり引きずりますが、

「少女」イ・ソウンちゃんは(ってもう30過ぎだけど)、

少し前、イ・スンファン工場長のFaceBookに「Dream Factory同窓会」というキャプションで

作曲家ファン・ソンジェと一緒に写真に写っていました。

帰国してたのかー、このメンツは珍しいなーと思ってはいましたが、

(パク・シネと違って、DF卒業後に工場長があまり彼女のことを語らないので

 数年前アルバムに参加したとはいえ疎遠になってるのかと思ってました)

なんと!7月末〜8月初めのMBC「覆面歌王」に出てました。

(うーむ、これ自体が既に1ヶ月以上前の番組だぞ…)

ソウンちゃん、本当の少女だった頃は、若さにまかせて

どこか無理して歌ってませんかと思っていましたが、

いややっぱ上手いわあ…

歌王になれなかったのは残念です。

 

で、話は全然変わりますが、

その時の「覆面歌王」の芸能人評定団に、ユン・ヒョンスクが出てまして、

ユン・ヒョンスクといえばあのDSPが排出した混声アイドルZAMのボーカルでした。

2008年か9年に、NHK-FMのラジオに出させてもらった際に、

韓国アイドルの歴史について話して下さいと言われて書いた原稿があり、

その書き出しがDSPとSMのライバル対決の最初はZAMとヒョン・ジニョンだった…

というネタでした。

結構な力作だったのですがwその部分はバッサリ切られ、

確かカン・スジのデビューから始めたかと思います。

その原稿があれば面白いと思い、原稿のコピーのフォルダを探しましたが

残念ながら見つけられませんでした…

いや、原本がどこ(のハードディスク)にあるかはわかってるんですが、

それを出して来るのがちょっと面倒だったというそれだけでw

気力がある時に出して来て読もうと思います。

 

そして今回は、その原稿を探していた時に見つけた、

実にシステマチックに90年代歌謡(の表舞台)をまとめた原稿を掲載します。

おそらく、代表的な歌手とその曲を挙げるようにとのことで書いたのだと思います。

ファイルの最終更新日が2007年9月。ますます何の仕事かわからない…。

 

----(以下、原文ママ)---

 

・キム・ヒョンシク「ネサラン ネギョッテ(愛する人よ そばにいて)」(90)
キム・ヒョンシクは80年代を代表する韓国の男性シンガー。フォーク、ロック、ブルースを基調に、ハスキーな声で歌い上げるスタイルはその後延々と後続歌手を産んでいる。この曲は90年に彼が亡くなった後に発表された遺作であり、91年の大韓民国映像音盤大賞(ゴールデンディスク賞)大賞受賞曲。その後1年以上、ヒットチャートのトップ10にとどまり続けたロングセラーとなり、何人ものアーティストがリメイクするスタンダード曲となった。

 

・パク・チョンウン「オヌルガットゥン パミミョン(今日のような夜には)」(90)
パク・チョンウンはアメリカからの帰国歌手のはしりであり、80年代末から90年代初頭、ピョン・ジンソプと共に韓国中を夢中にさせた男性バラード歌手ブームの一端を担った。この曲も90年から92年までの長きに渡ってチャート上位に君臨した。90年代前半までは1年単位のロングセラーはさほど珍しくない。05年には神話がリメイクしている。

 

・カン・スジ「フットジン ナナルドゥル(散らばった日々)」(91)
90年、アメリカからやってきた彼女の登場は多くの人々に衝撃を与えた。まるで妖精のような儚げな可愛さと、自身で作詞までこなしてしまう才能と、透明感のある歌声はそれまで韓国になかったタイプのアイドルだったからだ。90年代は後半まで女性歌手不遇の時代だったのだが、アイドル分野では彼女がほぼひとりで頑張って屋台骨を支えた。この曲はセカンドアルバム収録で、ユンサン(シンガーソングライター)とのコンビで生み出したヒットのうちの1曲。

 

・シン・スンフン「ポイジアンヌン サラン(見えない愛)」(91)
シン・スンフンは90年代を代表するPDであるキム・チャンファンが最初に世に出した歌手で、現在に至るまでの長きに渡り、韓国バラードのトップに君臨する国民的大スター。この曲が収録されたセカンドアルバムは、当時としてはまだ珍しかったミリオンセラーを記録、92年のゴールデンディスク大賞を受賞した(93年も連続)。この曲で確立された彼の特徴である泣きのバラードは、永らく外国向けではないと(PDキム・チャンファンにも)言われてきたが、02年「I Believe」の全アジアヒット以降の活躍ぶりはめざましいモノがある。

 

・ソテジワ アイドゥル「ハヨガ(何如歌)」(93)
90年代の韓国ポップスを語る上で絶対に外せない、音楽界ばかりか多くの社会的通年すら覆した3人組(ソ・テジ、イ・ジュノ、ヤン・ヒョンソク)。92年、それまで実験的に一部で取り入れられていただけのラップを前面に押し出したダンス曲「ナン アラヨ」で韓国中を席巻。ラップをはさみつつメロディを聴かせダンスを見せる、という音楽スタイルを確立、その後現在までずっと主流となっている。96年に突如解散するまで、いやそれ以降も、彼等の一挙手一投足に韓国全体が注目し、大統領並の影響力を持つとも言われた。「ハヨガ」はセカンドアルバムの大ヒット曲。韓国伝統音楽を巧みに取り入れた凝った音楽作りでファン層を年長者まで拡げ、ただのアイドルではないことを見せつけた。

 

・キム・ゴンモ「ピンゲ(言い訳)」(93)
93年というのは韓国で初の文民政権が誕生した年で、社会全体が急激に軟化していった年でもある。PDキム・チャンファンに見込まれて歌手&アレンジャーとして92年にデビュー。当時のインタビューで「韓国のクインシー・ジョーンズとなりたい」と語るほど初めからブラック志向が強く、この頃ようやく市民権を得つつあったブラックミュージックを一般的にひろめた功労者である。「ピンゲ」は93年末発表のセカンドアルバム収録で、94年初頭から爆発的にヒット。一大レゲエブームを巻き起こし、ダンス歌手もフォーク歌手もレゲエレゲエで終始した年となった。94年から3年連続でゴールデンディスク大賞受賞。

 

・SOLID「イバメ クチュル チャプコ(夜の果てをつかまえて)」(95)
SOLIDはアメリカ出身、母語は英語、韓国語はちょっと苦手…という3人組。たいへん洗練された本場仕込みのR&Bを、韓国人の好みに合うようにアレンジしたこの曲が大ヒット。それまでなんとなくテイストとしては多くの歌手がもっていたものの、なんとなく曖昧としていたジャンルとしてのR&Bを、韓国にしっかりと根付かせることとなった。ただし、その後、あまりにも大衆が求めるモノと自分たちのやりたい事とにギャップがあることに抗議して97年解散。現在、キム・ジョハンはソロ歌手、チョン・ジェユンは主に台湾でPDとして活動。最近、イ・ジュンとチョン・ジェユンが元UPTOWNメンバーとSOUL-TOWNを結成した。

 

・DEUX「クルレルル ボソナ(束縛を外して)」(95)
高校の同級生であったイ・ヒョンドとキム・ソンジェがバックダンサーなどを経て93年にデビュー。当時ダンスグループ大増殖中にあってHIPHOPを追求し続け、歌謡的要素を強く含む韓国ヒップホップの元祖となった。この曲は名盤の誉れ高いサードアルバムの代表曲で、彼等の集大成でもある。アルバム発表わずか2ヶ月後にDEUXは解散。キム・ソンジェはソロデビューするが、翌日に帰らぬ人となった。イ・ヒョンドはプロデューサー、ソロシンガーに。

 

・イ・スンファン「チョニルドンアン(千日間)」(95)
イ・スンファンは89年デビュー、ほのぼのとしたバラードで少女達のアイドルとなる。柔らか且つ感傷的な歌声が特徴だが、ライブになると一転、パワフルなステージングを見せ、「ライブの帝王」とも呼ばれている。そんな彼の豊富な表現力を余すところなく発揮してヒットしたのがこの曲であり、初期の代表作となった。一時期、何人もの歌手がカラオケで唄う歌としてこの曲を挙げていたこともあった。本人は90年代後半以降、音楽事務所「ドリームファクトリー」の代表として歌手やコンポーザーを育成しつつ、自身の作品精力的に制作している。

 

・CLON「クンタリシャバラ」(96)
送り出す歌手が皆メガヒットを飛ばしまくり、90年代に一時代を築いたPDキム・チャンファンが、この年満を持してデビューさせたのがカン・ウォルレとク・ジュニョプのCLONだった。高校時代からの親友同士で共にバックダンサーから芸能活動を始め、この時既に27歳。この曲はデビュー曲。鍛え抜かれた体を駆使したシャープなダンスと誰もが馴染みやすい軽快な音楽が受けて幅広い層から支持され、中華圏でも人気が出た。00年、カン・ウォルレが交通事故で車椅子生活となるも、まさに血のにじむ努力の末にステージ復帰まで果たした。

 

・キム・ジョンソ「アルムダウン クソク(美しい拘束)」(96)
80年代末に韓国ではヘビメタブームが起こり、いくつもの優秀なバンドが結成され、日本でも紹介されたバンドがいくつかある。そのうちのひとつ、シナウィにキム・ジョンソは80年代後半から90年にかけての2度在籍し、プファルや他のバンドを経て92年にソロデビュー。90年代は韓国ロックが全体的にかなり弱かった時代だったが、彼は音楽面でもセールス面でも最も成功した歌手の一人である。驚異的な高音域、発声の力強さ、メタルからバラードまで幅広いジャンルをこなす表現力など、なかなか他の追随を許さないというか、声ぢからの強力な人である。5集に納められたこの曲は歌謡的エッセンスも凝縮された、90年代の彼らしいヒット曲。

 

・H.O.T「ヘンボク(幸福)」(97)
相次ぐ歌手達の不幸やソテジワアイドゥルの突然の引退発表で芸能界大混乱で始まった96年、突如わき上がった高校生歌手旋風。それまで学生は勉学に励むモノであり、芸能界に入るのは20歳を過ぎてから…が当然だった。その中心的存在であり、ビジュアル・歌・ラップ・ダンスそして若さと全て揃ったグループとして最も人気を博したのがH.O.Tである。彼等を含め、この時期にデビューした高校生達の多く(チェッキー、FIN.K.L、ヤンパ、イ・ジフンなど)は、現在も第一線で活躍している者が多い。この夏、事務所の後輩であるSuper Juniorにカバーされたこの曲は、ゴールデンディスク大賞も受賞したセカンドアルバムからの大ヒット。2001年の解散まで、アルバムを重ねるごとに彼等の音楽はコアなロックやR&Bバラードなどよりハードになっていったが、初期のお気楽なアイドルポップにもメンバーそれぞれの個性が反映されていて面白い。

 

・S.E.S「('Cause) I'm Your Girl」(97)
H.O.Tに続いて同じ事務所からデビュー。90年代韓国女性(芸能人・一般ともに)のメイクというと、山形の眉・茶色く縁取ったマットな唇・気合いの入ったアイライン…というかなりきつめが主流だったが、あくまでもナチュラルなハイティーンのイメージそのままに出てきたデビュー当時の彼女たちは、この年に数多出現したガールズグループの中でも異例の可愛さだった。そして瞬く間にトップアイドルに駆け上がり、この後世紀をまたいで続くことになる女子アイドルブームの中心となる。この曲は記念すべきデビュー曲で、リードボーカルであるパダの圧倒的歌唱力が衝撃を与えた登場でもあった。

 

・チョ・ソンモ「スルップン ヨンホンシク(For Your Soul)(哀しい霊婚式)」(99)
チョ・ソンモは98年に自身の顔を明かさない覆面歌手としてデビュー、イ・ビョンホン主演の長編ドラマMVとハイトーンの美しいバラードで話題をさらった。本人が公に出るようになった後も長編MVは次々と作られ、ほどなくしてそれは韓国MVの定番となった。この頃、未曾有の大不況下の韓国ではアイドルグループブームの頂点にあったが、その中で男性ソロ歌手として孤軍奮闘、90年代末〜00年代前半を代表するバラード歌手となった。現在、軍隊服務中のため新譜アルバムはしばらくおあずけとなっている。この曲は予約だけで100万枚と言われたセカンドアルバム収録で、99年のゴールデンディスク大賞曲。ドラマMVにはシン・ヒョンジュン、チェ・ジウに加え本人も出演し香港で撮影された。

 

---(ここまで)---

 

なんせ本文中の「現在」が10年前の話ですからw

しかし、その「現在」になんで99年までの「歌手について」書いているんでしょうね?

90年代後半には、現在(2017年)も活躍中の歌手はいっぱいおりますので、「あの人がいない」「あのグループがいない」とのご意見もあるかと思いますがまあ仕方ない…。概ねいいとこついてるとは…思うので、

何かの参考にでもして見てくださいませ。

 

 


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