これが最初のお仕事でした。(ソテジワアイドゥル日本盤のこと)(3)

今回、このネタを書くにあたって、当時(94年)の原稿や
掲載誌紙を久しぶりに探し出して読みました。
結構面白いw 自分のだけじゃないですよ。いろんな記事が。
ネット記事はいつのまにか消えていることが多いので、
紙媒体はやっぱりいいなあと再認識しました。
…しかし、場所をとる…。
それ以上に場所を取っている当時の韓国音楽雑誌の山…。
誰かデジタル化してくれないものか(無理)。

同時に、90年代中盤から後半、いくつかの韓国ポップス愛好サークルに
参加していたのでその会報も読み返しています。
これがもっと面白い!濃い!!
主催の方がポケットマネーで印刷・配布してくださってたり
(Cさんその節は本当にありがとうございました。)
しょっちゅうみんなでカラオケ行ったり
(Fさん本当に楽しかったですありがとう。)、
今は殆どの同志の方と連絡が取れなくなっていますが、
超超ディープな世界がそこにはありました…。

で。なんでかわからないんですけど、
私の元にはユン・ジョンシン윤종신の生写真が
なぜかものすごくたくさんある…。(全ていただきもの)
いろんな方が、イベントやライブで撮ってきた写真を
送って下さったのです。

よほどみんなにファンだと思われていたらしい…。
いや、ファンなのは確かですが…。
うーん、当時もなんでだろう、と思ってましたが
改めて見ると本当になんでだったんでしょう。
そんなに私、ユン・ジョンシンファンアピールしてましたっけ??


さてさて、本編に戻ります。
今回でちゃんと終わるでしょうか…(不安)
前振りが長過ぎるのはわかってます、わかってますけども(^^;)。


新宿プリンスホテルでテジ君に対面した私は、
真向かいに座ってる私と担当さんの顔を全く見ないテジ君に、
一抹の不安を抱きながら「내 맘이야」の歌詞を差し出しました。
(その前にいた喫茶店で急遽書いたものでした)

まずテジ君がしたことは、
その歌詞の上に鉛筆(その場で誰かに借りたと思います)で
「내 맘이야」と書き加えることでしたw

歌詞直されてます…すみません。

で、この歌詞の意味が正直よくわからないんですが…と申しましたところ、
その時のテジ君によりますと…

「特に意味があるわけじゃない。
自分が、心のままに、好きなようにやりたい、言いたい、そういうこと」

ということでした(かなり強引にまとめました)。
そこからタイトルが「オレの勝手だろ」になりました。

あ、そうですか…あんまり意味ないの?え?はあ…

更に「韓国でもね、歌詞がわかりにくいって言われてるんだよね」。
あ、そうだよね…そのとおりだと思うわ…。
結構支離滅裂だもんね。

そこで担当Aさんがこんな提案をされました。
「サザンオールスターズの曲にも、歌ってるんだけど歌詞が普通に書いてないのがあって、
そういうふうに記号で埋めるのはどうかな?」
しかしテジ君はそれには
「ちゃんと歌詞があるのに載せないなんてのはダメ」ときっぱり。
同時に、元々の歌詞カードが金文字印刷で読みにくいから
色を変えたいとの提案にも
「韓国ではそれは言われた事ありません」(きっぱり)
それは韓国人は聞けばわかるからじゃないのか!!w
おとなしそうなつるんとした顔をして、
(結構きつい口調で)バッサバッサと斬りまくるテジ君に
私もだんだんと圧倒されて、この場にいることを後悔し始めた頃に、
じゃあこの歌の訳詞をどうやったのということになり、
通訳の宋嬢を交えて検証することになりまして、
テジ君の鬼っぷりが発揮されることになりました。

まず、テジ君が1行ずつ歌詞を読み、私が訳詞を読み、
それを宋嬢が間違った表現ではないかを判断し、テジ君に伝える。
それを聞いたテジ君が「それ違う」とダメ出し。
宋嬢が私にこういう日本語にして下さいと伝える…

ちょっと無茶苦茶ややこしい作業でした。

私はそれまで(も今もですが)、訳詞とは
翻訳だけど歌の詞だから、読む時の調子とか、
詩的あるいは詞的な表現が大切だと思っていました。
中国のCDの翻訳をいくつか手がけている私の姉や知人も、
大事なのはそういう表現だと言っていましたし。
でもテジ君は詞的な表現ではなく、
即物的な直訳、逐語訳を要求してきたのです。
例えば、내 맘이야の場合、冒頭の
「그런데 지금 나는 TV를...」を「さて今僕はテレビを…」と訳したら
「ところで今僕はテレビを…」に直されるとか、
「나가볼꺼야」は「出かけよう(意志)」ではなくて
「出て行くぞ(強い意志)」に、
「난 신문을 보면 눈이 뒤로 돌아가」は
「新聞を見ると目が(後ろに)回る」ではなく
「新聞をずっと見るとアタマがおかしくなる」に。
確かに中国語よりは韓国語の方が、日本語に構成が近いので、
ちょっとの語尾の違いがニュアンスの違いが明らかになるんですね…。

そうしてこの曲だけで、15箇所以上の直しが入りました。
ただ、その直しの半分くらいは、
今見るとわかるんですが要するに、
テジ君がどういう気持ちでこの詞を書いたかを説明してるんです。
逐語訳だけどそうでもない部分(↑の新聞のくだりとか)もあり、
あ、そういう意味なのね…と20年ぶりに納得したところが多いです。
時間が経つって大切ですね〜〜〜。


次にとりかかったのが「渤海を夢見て발해를 꿈꾸며」。
民族分断をとりあげた社会的問題作と言われた曲です。
私は慣例により우리 (一人称複数)を「僕たち」と訳しましたが、
テジ君は「もっと強くて難しい言葉がいい」というので「我々」になりました。
いやー、ちょっと「我々」ってアンバランスですよね…。
でも鬼のテジ様のご指定です。
「알고 있나」は「わかってるの」じゃなくて「わかっているの」に、
「우리가 서로 손을 잡은 것으로 큰 힘인데 」は
「互いに手をとりあうのが大きな力になるのだから」が
「互いに手をとりあうだけでも大きな力になる」に。
この時のテジ君のなにが鬼かって、
指摘の仕方が結構…かなり…えーと…
き、きつかった…。
たぶんその日は忙しすぎてかなり機嫌が悪かったと思うのです。
衣装にメイクのままであちこちの取材に飛び回って、
こんなアホの訳詞にまで付き合って。
なんだか申し訳なさで一杯でした。

でも「시원스레 맘의 문을 열고」の部分では、
自分の着ているジャケットの打ち合わせを両手でぱっと開いて
「こういうこと」と教えてくれもしました。
서로를 겨누고 있고(互いを狙っている)の部分では、テジ君が、
ライフルを構える真似までして「銃で」狙う、を強調して
その単語を入れる事になったり。
最初の頃はギクシャクしていた作業も
だんだんと滑らかに進むようになってきたのです。

このくらい進んでくるとちょっと気になったのが、
通訳の宋嬢が自分なりの見解をちょくちょくはさむことでした。
日本語と韓国語は非常によく似ているけれど、
それでも全然そのまま表現できない言葉は沢山あります。
それを補足してくれるのはいいんだけど、
韓国語詞と日本語詞を両方聞いてしまうことで互いをつい補ってしまう…
そういうことが起きていたわけです。

「渤海」が終わると次は「子供達の瞳で아이들의 눈으로」。
この曲はそんなに難しくなかったのでトントンと進みました。
が、それでも直しがはいるはいる。
歌の最後に
「모두를 사랑하지요. 우리와 함께 있어요.
모두를 사랑하세요 .사랑을 주세요」という詞があります。
사랑한다 というのは実はけっこう訳しにくい言葉で、
愛なのか恋なのか、사랑을 한다 は愛をする?愛する?とか
前後の状態であれこれ考えなくてはならない言葉なんですが、
これを最初は
「すべてを愛そうよ 僕らと一緒にいよう
 すべてを愛そうよ 愛しておくれよ」と訳したのですが、
「すべてを愛してる 僕らと一緒にいよう
 すべてを愛してよ 愛を伝えてよ」へと変更になりました。

愛そうよ→愛してよ、はその通りです。
でもなんで사랑을 주세요(直訳・愛をください)が
愛を伝えてよ、なのかは…それはテジ君の御心のままに、としかw

次の「教室イデア교실 이데아」を始めたとき、
テジ君は次の取材時間が迫って来てしまい、移動しなくてはならなくなりました。
ええ…! 困ったなあと思っていたら、
帰国までの数日の間に、もう一回場を設けて作業をしましょう、
ということにしていただいたのです。

 
作業が再開されたのは、
テジ君帰国前日の夜10時すぎでした。
青山のアンティノスレコードの会議室にて待っていると、
数日前とは一転、カジュアルな私服(でもちょっとおしゃれ…)のテジ君が、
これまた数日前とは違ってご機嫌な表情で入って来たのです。
プロモーションスケジュールが全部終わり、
これが終わればあとは韓国に帰るだけだからなのか、
とりあえず初対面じゃない人が相手だからなのか(これ結構重要かも)。
夜遅くにもかかわらず、和やかな雰囲気のなか、
早速「教室イデア」の続きから始めた訳ですが…

前回のプリンスホテルから私たちの作業の様子を見守っていた
アンティノスレコードの担当さんから
さすがにこのやり方じゃ夜が明けてしまうと思ったのでしょう、
作業手順を変更したらどうか、という提案がありました。

初めに私が訳詞を読み、宋嬢が元の詞を知らない状態で韓国語に訳し、
それをテジ君が自分の詞の意図に沿っているかいないかを判断する…。
テジ君からもすんなりOKが出てこの方法を試してみたら、
それまでの長時間の苦労が嘘のように、なんとまあスルスルと作業が進む進む。

なんでもっと早く言ってくれなかったんですか…

まあいいけどw

ところで「教室イデア」の中に、
「どす黒い教室の中に閉じ込められて、あたら若い時代を無駄にすごすなんて너무 아까워」
(ハングルの前まではざっくりと意訳)
という一節があります。
너무 아까워、直訳すれば「あまりに惜しい」。もったいなさすぎ、惜しすぎる的な言葉ですが、
テジ君の意図を更にざっくりとまとめると、
閉じ込められている自分の心の奥底からわきあがる悔しさとか怒りとかが爆発しそうな、
そんなドロドロした的な感情なんだそうで(今思い出しての解釈です)、
それを端的に表す言葉はなに?と聞かれて
最初に思いついたのが「超ムカつく」でした(当時の流行語)。
宋嬢が「日本の若い子がよく使う言葉です」と注釈を入れると、
「じゃあそれ!」と言ったテジ君の嬉しそうなことといったらw
この一連の作業で一番盛り上がった(?)のがこの部分だったかもしれません…。

その後は本当に順調に進んだという記憶しか無くて、
特に「永遠영원」という曲は殆ど直しが入らずに終わった曲でした。
宋嬢に「これは元の歌詞より感動しました!」と言われたのは素直に嬉しかったですw

午前0時を回って少し経った頃、ようやく最後の歌が終わりに近づき、
まさにその最後の最後に録音されている「あんにょ〜〜ん」の一言をラストにして
一切の作業が終了したときは、
もう3人とも嬉しくて嬉しくて笑うしか無い、という感じでした。
テジ君はアンティノスの担当さんから、
トイズファクトリーから出た日本盤のシナウィ4集(そのとき既に廃盤)を貰って
飛び上がらんばかりに大喜びしてるし。
おそるおそる一緒に写真とって下さいとお願いしましたら、
「写真ですか?写真はダメですよ〜」と日本語でニコニコ答えてくれました。
で、写真は撮りました!!w
宋嬢も入れて3人でも撮ったんですが、私の手元にはその写真がない…。
それが今となっては残念だなあとまじめに思います。
その写真を今、まじまじと見ると、
162.5cmの私とそんなに大きく身長変わりませんw(私よりは高い)
因みにDreamFactoryの工場長はテジ君よりちょびっと(以下略)

そんなこんなで深夜1時ちょっと前、テジ君たちがホテルに帰るためのマイクロバスが
青山通りをちょっと入ったところに停めてあるというので、
そこまで歩いて行く事になりました。私もタクシーを捕まえなくてはなりません。
そういえばあの頃、青山通りは地下鉄工事の真っ最中だったなあ…(遠い目)。
ビルを出てから5分くらいの道のりでしたが、なぜか3人でいつのまにか、
当時大流行中のTWO TWO「11/2 일과 이분의일」を歌いだし、
テジ君は手の振りまでしながら最後まで歌いきり…。
実に楽しく真夜中の東京をほんの少しだけ歩いたのでした。


ここまでダラダラ書いて来て、
もう20年も前の話なのに、案外ちゃんと憶えてる事が多いのが
自分でもびっくりしています。
そりゃあまあ、多少…いや多々…は
美化されてたり脳内で作られた思い出もないわけじゃないと思いますが、
あんなに楽しい仕事は私の社会人人生において、
他になかったかもしれないなあ、としみじみ思うのでした。

最後にひとこと、
テジ君、何度も鬼って書いてごめんなさいw

 

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