これが最初のお仕事でした。(ソテジワアイドゥル日本盤のこと)(1)


ソテジワアイドゥル日本デビュー盤。サインは後で入れてもらいました。
私はいったいこのアルバムを何枚自腹で買って韓国に送った事でしょう…。
95年まで頼まれまくりましたっけ。

最近ますます(昔の)歌詞訳に関心が高くなりまして、
誰も望んでないけどあれこれアップしております。
なんでしょうね?初心に帰るとかw そういうわけでもないですが。
というより、あんなに一生懸命、
独りよがりながらも韓国語を勉強していた頃が
懐かしすぎて死む、みたいな。
アレですね、老人は過去を語る、ってヤツでしょうか…。
(高校の生物の先生の言葉↑)

なのでいきなりですが、過去を語らせてもらいます。
(いや、いつも過去ばっかだし…)
ソテジワアイドゥル서태지와 아이들が日本でアルバムを出したのは、
1994年秋のことでした。
その年の8月、私は当時バイトしていた中華レストランのオーナーで
日中交流関係の仕事をされている方とそこの社員である姉を通じて、
青山ツインタワーの中にあった、アンティノスレコードに呼ばれて行きました。
アンティノスレコードはアンチ・ソニーを標榜したSONYの新レーベルです。
用件は、今度アンティノスの第一弾として
ソテジワアイドゥルが日本でデビューするので、
プロモーションに協力してもらえないだろうか…とのお話でした。
その時点で数日前に発売されたばかりの3集も、既に日本盤を出すことは決まっていました。
まず10月発売予定のCDは1集と2集からのコンピレーション、
もうジャケット撮影も済んでいて、
歌詞の翻訳も終わっているのであとは発売するだけの状態となっている。
現在パンフレットを作成しているが、そのうち1面に、韓国に関するコラムを書いてほしい、
という、その時の私にしてみれば夢のような話でした。
その時、プロモーションについてアンティノスがメインでお願いしていたのが、
当時の韓国音楽ライターの頂点にいらした湯浅学さん(私の大学の先輩です)と
その弟子の宮腰浩基さん(私の師匠です)で、
恐れ多くも湯浅さんが見開きで長い文章を書かれた裏に、
僭越ながら私の文章とイラストを載せていただく事になりました。
結構スケジュールはタイトだったんですけど、当時の私は昼間と夜のバイトをしながら、
母と祖母に「フーテン」「ルンペン」と呼ばれるダラダラな生活をしてたので、
あっという間に仕上げてしまったと思います。

その年の初めの占いで
「今年は向こう8年のあなたの人生を決める重大事件が起きます」というのがあって、
いい大人になってお金もなくダラダラした毎日を送ってる自分に
そんなことがあるんだろうかと疑っていましたが、
その後何度考えても、この時のことが「そのこと」だったのだなと思います。

で、その原稿を書くにあたって、まだライターでもなんでもなく
どこの馬の骨かもわからない若い女の子(だったと思いたい…)に
いくら日本におけるアジア音楽界の有力者の紹介といえども
いきなり結構なスペースの原稿を書かせる訳ですから、
アンティノスも大冒険だったんでしょうねえ、
ソテジワアイドゥルについてちょっとなにか書いてみてもらえないかと言われて
A4ペラの原稿を最初に提出いたしました。
言ってみればオーディション的なもの?だったんですかね??
つまりよっぽど…当時韓国音楽のライターがいなかったという…まあ、そういうことです。

それが以下の文章です。
 
 1992年5月、わたしはプロ野球を見るために韓国縦横断の旅をした。その間、毎朝のスポーツ新聞は情報集めの重要なアイテムだった。韓国のスポーツ紙はどれも芸能ページが別冊になっている。ある日長距離列車に乗った時のこと。ちょっと見にサエない、3人の男の子が一面に大きく載った別冊を、前の座席の網に入れた瞬間、斜め後ろの席の女の子が駆け寄って抜き取ったのである。驚いて振り向くと、彼女はもう熱心に記事に見入っていた。え、もしやあれが人気あるのっと驚いた、それがソテジワアイドルとの出会いだった。彼らの歌はまだ殆ど聴けなかったが、その名前と姿は印象に残った。
 ソテジワアイドルがたまげるほど売れまくって大旋風を起こしていると聞くまでに、それから1ヶ月かからなかった。6月に入ってまもなく人気大爆発が起こったという。5月にはサエなかった彼らも、みるみるうちに垢抜けていった。ソ・テジ、イー・ジュノ、ヤン・ヒョンソクというその3人が、韓国歌謡界の記録と状況を、すべて自分達の色に塗り替えてしまったのだ。
 それまで韓国歌謡界には数年間、バラード曲が君臨していたが、日本でも報道されたNEW KIDS ON THE BLOCK来韓公演での熱狂が示した通り、ダンスものを受け入れる姿勢はできていた。元々歌い踊るのが好きな国民だし、ラップだって90年頃から歌に組み込む歌手が増えている。そこへソテジワアイドルの登場だ。10代の少女達が「可愛い」と胸をふるわす容姿とファッション、国産の歌手では見た事もなかった軽快な踊り、ラップに乗せたわかりやすいラブソング…。そんな簡単な、と言うなかれ。それを韓国で最初にやったのが彼らだったのだ。
 そして彼ら3人は、ステージでもグラビアでも、いつも平等に姿を現した。誰か一人が突出して目立つ事は無い。その歌も踊りも、3人一組でひとつの形を作るようにできているのだ。だからそれぞれが沢山のファンを持ち、またファンは3人で織りなす絶妙なバランスを楽しんでいる。
 大人達が顔をしかめたそのストリートファッションも、かなり短い周期でスタイルを変えて来た。可愛さを強調したパステルトーンの服にタグを揺らしていたかと思えば、タキシードできめてCF出演、久々に姿を見せると「レゲエパーマ」とグランジスタイルになり、しばらくしたら今度は原色に染めた髪と同色のスーツ…。次は何?と期待を持たせるところがいいじゃないか。
 150万枚以上を売った「ナン アラヨ」収録のファーストアルバムに続き、半年後に発表したリミックスアルバムでは、国楽のサムルノリを動員し韓国特有の音色を聴かせている。93年、映画「ソッピョンジェ(日本題・風の丘を越えて)」の大ヒットで空前の国楽ブームが起きたが、既にその前をいくものだった(但しソテジが最初ではない)。93年韓国レコードセールス第2位、「ハヨガ」収録のセカンドは、明るいだけのダンス曲ブームの中、重厚なサウンドと直接語りかけて来るような歌詞でひと味もふた味も他と違うぞ、というところを見せつけた。
 そして94年8月、満を持して発表したサードでは、これまでとは更に変わった姿を見せている。留まる事を知らず、韓国歌謡界のトップ位置で常に先へ先へとは知り続けているソテジワアイドル。2年前のあの時、ちぇっ サエないなあ、とひとりごちて新聞をたたんだ事は、今では誰にも言えないわたしの秘密である。


(1994年8月24日)改行ママ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いやあ、書いてる事薄っぺらいけど、ちゃんと読む人を意識しているのはいいと思います(爆)。
この後延々と何年もそういう薄っぺらい文章を書き続けるわけですが、
文章の起承転結はけっこう意識してたような気がします。

さて、この中で気になるのは「ソテジワアイドル」という表記ですが、
これはアンティノスが日本デビューにあたってこういう表記で統一しましょう、と
決定した表記です。
アイドルidolと混同しやすいのもふまえた上で、
アイドゥル아이들の日本語的発声の難しさ(というより広まりにくさ)を考えて、
あえてこれにした、というような話を伺いました。
でも…たぶん全然受け入れられなかったんだと思います…。定着しなかったし。
だったらまだTaiji Boysでもよかったかもしれない(と今は思う)。

あと、この冒頭の出来事はすっかり忘れてましたw
セマウル号かなにかに乗った時のことですね。
読んで思い出しましたが、ほんとに瞬時に抜かれましたw
網棚じゃないですよ、前の座席の網。あそこに入れたものを抜き取るっていったいw
これほんとに誇張じゃなく、全然サエなかったんですよ…。
ファーストのカセットのジャケと同じくらいダサダサだったはずです。
でもそれからの垢抜け方は、上記のように素晴らしかったですよ。
でもなんでテジ君は眼鏡を外さないのか、それだけが気になっていました…。
韓国の歌手や野球選手って、やったら眼鏡の人が多かったんです。
眼鏡も多かったしサングラスも多かった。
10代のダンスミュージックが主流になるにつれて減りましたが、
サングラス人口はそんなに減りませんでした。
現在のK-POPアイドルはほんとにみんな眼鏡もサングラスもしなくなりましたね。

余談ですが、この韓国での眼鏡の形の流行というのは、
なぜかいつも日本の3年くらい先をいっていて、
90年代の初めに流行っていたのはその後日本でも定番となる、
ちっちゃくて細い楕円形の眼鏡でした。
今、日本で顔の半分くらいありそうな大きなド太いふちの眼鏡が増えてますが、
あれも2012年頃にユン・ジョンシン윤종신、
すこし経ってイー・スンファン(イ・スンファン이승환)がかけているのを見てショックを受け、
工場長が宮川大輔になった!とSNSで騒いでしまったものですが、
慣れというのは恐ろしいもので今じゃなんとも思わなくなりました。

さて、そんなこんなでようやく初のお仕事をいただけることになったわけですが、
この話はソコで終わりではなかったのです。

というわけでこの項、続く!(個人的な思い出垂れ流しですみません!!)

 

コメント
こんにちは。
Lucyさんが015Bの記事をあげてくださっていたので、懐かしくなり、もう十年も聞いていなかった韓国もののCDをごそごそ取り出して、埃を払ったりお掃除かたがた聴いてみました。
015Bの動画の黄色い声援がなかなか理解できませんけど、イスンファンも昔はそういうのが多くて、「違うでしょ、みんな黙って歌聞けよ〜。」と思ったりしてたもんですが。

で、015Bのベスト聞いてみると、なんか歌えるんです。きっと20年位前に歌う練習してたものと思われます。歌詞を訳そうとは思わなくて、歌の練習ばかりやってた自分…方向性がちがいますね^^;訳そうと思っていたら、少しは韓国語がましになってたかも。

で、この文章にも覚えがある気がしますよ。
もちろん、このソテジの日本デビュー盤ももっとりやした。そうかぁ〜、LucyさんこのCDに文章書いてたんですね!なんだか雲の上のお方です!!

昔語り、ここに喜ぶ読者がいますので、どんどん書いてください。楽しませていただきます。
  • YOKO
  • 2016/04/11 4:08 PM
YOKOさん、015Bまで聴いていただきありがとうございます^^
なんせ当時はアイドル枯渇時代だったので、015Bでもユンサンでもキャーキャー言われたんですよねw(たぶん)
015Bのことは書こう書こうと思っているんですが、なかなかまとまらなくて放置状態です…。

あ、それと、ソテジのこのCD本体には文は書いてないです…。
ハングルの校正をしただけです(あ、これはその2のネタでした)。
私が書かせていただいたのは、CDショップとかで配布してたパンフレットなんですよー。
今回、これを書きながら、なんだか色々な事を思い出しました。
折に触れて思い出すこともあれば、あることをきっかけに堰を切ったように溢れてくる記憶もあって、ますます昔語りから離れられません…。



  • Lucy
  • 2016/04/13 11:02 PM
あ、失礼しました。
ソテジのそのCDごそごそ引っ張り出してきてライナーとか見てみましたがそれらしい文章はなく、あれ?早とちりだったな。と。思ってたところでした。でもでも、すごいですよ。

キャーキャー言いたい人というのはいつの世も一定量いるようですね。今はアイドルがすごいから、イスンファンみたいな人にはキャーキャー(あまり)いわないですよね。よかった。こないだの東京公演は、歌の途中のキャーはなくて皆歌を聴いてくれて心底ほっとしましたもの。

  • YOKO
  • 2016/04/15 4:27 PM
なかなかゆっくりパソコンに向かえず、コメントしたくてうずうずしていましたが、今更のコメントです。^^;

私が、韓国に住んでいた時にも、ソテジが好きで韓国に来たっていう人がいましたよ!日本デビューで好きになったと言っていた記憶があるので、きっとLucyさんの文章も当時読んでいたと思います。^^

この時代の私は、留学生から人づてに回ってくる一部のテープがほとんどで、細々としたK−POPとの接点でしたが、当時からお仕事されてる人に、こういったお話聞けることが、なんだか感動です。

そして、イラスト上手だな〜と思っていましたが、これもLucyさんの作品だったんですね。描けて書けるライターさん、とても貴重な存在です!

私の夫は、姓がソなのですが、息子生まれた時に、テジも良いんじゃない?と冗談なのか本気なのか言ってた時があり、私が大反対した思い出が・・・ 有名人と同姓同名ってきっとからかわれますよね…
すみつばめさん、ありがとうございます!
お仕事はですね、今は全然記名文章書いてないので昔の記憶ばかり掘り起こしてます…(だから老人なのです…)。
ご主人、ソさんなんですね^^
ええ!なんでテジくんにしなかったんですかっ!!(爆)
中国では「太志」と書かれてますが…うーん、からかわれるより尊敬されそうな気もしますw
  • Lucy
  • 2016/04/23 4:14 PM
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

What time is it ?

Mail form

list

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM