このブログのタイトル写真です。

このご時世に私はスマホを使っていません。ええ、ガラケーですw

理由…安いから。(機種代金を先に払い終えたので、現在毎月の電話料金が500円未満です)

とはいえ、実はiPhone6を機種変更した人から譲り受けたので、厳密には「電話として」使っていないだけでもあります。そんな私なので、長い事、自分のブログがPC版とスマホ版とインターフェイスが違うというのは知っていたものの、実際にスマホ版画面をじっくり見たのはつい最近のことでした。(タブレットではPC版で見ます)

 

で、改めてショックだったのが(いや、それほどのことではない…)

ブログの看板写真がスマホ版だと掲載されていない!ということでした。

 

看板に写真を載せられたり、バックを画像にしたり(していたこともありました)をCSSでコントロールできるのはPC版だけなのです。

 

というわけで、このブログの看板に貼付けてある写真がコレ↓

この写真は真ん中の"少女"イ・ソウン이소은のデビューアルバムのポスター(の一部)です。私の持ち物です。

これを貰った時には部屋に貼ってましたwww

DreamFactoryが社運をかけて(大げさ)発売したアルバムで、このポスターを見てもそれがよくわかるかと思います。両側のおにーさん方(当時32と30)が妙に嬉しそうで微笑ましいです。

 

このアルバムに参加したソングライターは、イ・スンファン、ユンサン、MGR、ファン・ソンジェ、ノ・ヨンシム、Sam Lee…といったそうそうたる顔ぶれに、イ・ソウン自作曲も収録し、やたらとてんこ盛ったアルバムではありましたが、

タイトル曲はコレ↓ 「작별 別れ」(MGR작사/곡)

MGR(パク・ヨンチャン)はユン・ジョンシンとキム・テウ(015Bの客員歌手出身の方)と高校の同窓で、キム・テウ(015Bの方)のバンドMUTANTを経て自分のバンドや015Bの客員歌手も勤め、ソングライターに転身しました。

後に彼がこの曲とイ・ソウンのイメージをがっつりとそのまま持って行ったのがイ・スヨンの「I Believe」だったかな…と思います。この頃、こういうオリエンタル趣味が流行ってたんですね…中華飯店とかね…

 

16歳の少女だったイ・ソウンちゃんも、その後アメリカで国際弁護士となり、最近結婚したというニュースがありました。

イ・スンファンのアルバムでは11集に収録されている「너에게만 반응해(君にだけ反応)」にひっさびさに参加しています。

 

というわけで、今回は単にポスターの写真をスマホでも見せたかっただけなのですがw 

ええ。

 


1999年NOW N NEW 「ひとつになって」

 

またずいぶんお久しぶりになってしまいました。

この間(かん)、SECHSKIES(ジェクスキス、젝스키스)関係で検索していらして下さる方が

(「無限に挑戦 トトガ2 SECHSKIES編が日本でも放送されたそうで)

またもやドカンと増えていて、ありがたい限りです…。

 

今回ご紹介しますのは、1999年に製作されたチャリティーソング。

当時韓国はアジア経済危機のまっただ中、

未曾有の不況でIMFの援助を受けていた、所謂「IMF時代」のど真ん中でした。

その苦境をみんなで乗り越えようという趣旨の歌で、

総勢22組の歌手による、古くはBand Aid,USA for Africa、

韓国だと環境保全運動の「내일은 늦으리(明日じゃ遅い)」とかのような。

新しくは…うーん、新しくはなんでしょう?

四川省地震救済ソング??…って全然新しくないし?

 

多分一番新しいのは、2016年11月18日に配信になる国民ヒーリングソング

길가에 버려지다(道ばたに捨てられる)」の第2弾になるのかも。

まあそういう、団体歌唱ものです。

 

まずはオリジナルMVをご覧下さい。

あっ、チェッキーも出てきますよ!(と、ちょっとおもねってみる)

 

●NOW N NEW「하나되어」

登場した歌手を順番に挙げると、

 

ユージン・パク(電気バイオリン)

キム・ジョンミン(怒りながら歌う人)

オム・ジョンファ(四半世紀顔が変わらない人)

チョ・ソンモ(元祖天使の歌声)

POSITION(ゴロー!)

イー・スンファン(工場長!)

イム・チャンジョン(最近また歌手になった人)

Roo'Ra(涙)

キム・ヒョンジョン(足長迫力姉ちゃん)

シン・ヒョボム(先月もこんな感じだった…)

シン・スンフン(バラードの皇帝)

イー・ソニ(30年以上顔が変わらない人)

Fin.KL(みんな大人になりました)

パク・チユン(謎な曲を色々出してた頃)

SECHSKIES(ウン・ジウォンは最後の最後の最後にしかいません)

1TYM(半分は今もYGにいる)

JINUSEAN(同上)

H.O.T(うぉううぉううぉう)

キム・ゴンモ(国民的歌手)

キム・ジョンソ(未だに単身赴任中)

キム・ギョンホ(長い髪の少女)

イー・ジョンヒョン(このすぐ後に歌手デビューした)

イー・スンチョル(スーパースター)

 

 

音楽監督:チェ・ジュニョン(作曲家)

いずれもこの当時、ヒットチャートをにぎわせていた歌手ばかりですが

なんと今でも殆どが現役で、しかも第一線で頑張ってるというのが

それこそ90年代では考えられなかったことだったので、凄いなと思います。

つか、顔が変わらない人が多いのが凄い(爆)

一番変わったのってすんちょら〜じゃないですか…。

イ・スンファン工場長はこの頃が一番、年相応だったと思います。

DREAM FACTORYのロゴパーカーを着ていますw

そしてキム・ジョンソの服装が人民服に見えるのは私だけですかw

 

しかも、歌ってはいないけどバックに沢山並んでいるのは

やはり当時の人気歌手ばかりでとても豪華です。

Country Kko Kkoとかデビュー当時のパク・チョンヒョンとか、

CLON、HANS BAND(だと思う…)、高耀太(第一期)、

Turboのキム・ジョンナムが作ってたグループSNAPもいるなあ。

 

実はこの少し後、朝鮮半島は大水害に見舞われまして、

そのチャリティーの音盤も出ています。

でも하나되어に比べると殆ど話題にもならなかった…。

因みに太四子とかが参加していたはず。

てゆーか、我が家にCDあるんだけど…(すいません、確認がめんどくさい…)。

 

さて、時はずーーーっと下りまして、

2014年に放送された「Hidden Singer 히든싱거」シーズン3の、

最後のチャンピオン大会中のイベントとして、

シーズン1と2の出演者も含めた大合唱で

この「하나되어」が取り上げられました。

よく見ると、ちゃんとそれぞれの歌真似さんが、

元歌手が歌っている部分を担当している(ことが多い)のがGJ。

 

是非、楽しんでご覧下さい^^

●하나되어  히든싱거3ver.

 

 


解散!

この8月の中旬、私事ですが、

日本のど真ん中のあたりの山の中で、

ネットも新聞もラジオもテレビもないところで数日穏やかに過ごしました。

(実際はラジオはあったけど聴かなかった)

山から下りて来たら、SMAPが解散宣言したとかなんとかで

大騒ぎになってました…。

 

解散。

韓国語だと「解体해체」を使います。

最近の解散で話題になったといえば4minuteでしょうか。

ただ、解散できるのはある意味幸せなグループかもしれなくて、

殆どのグループは誰も知らぬ間に、気づかぬ間に

それどころかその存在すら知られぬ間に消えて行っているからです。

 

90年代に活躍した各ジャンルのグループで、

かなり幸せな部類に入るグループといえばこのあたりかな、と。

 

【ちゃんと解散をあらかじめ発表できてフィナーレを飾れた幸せな皆様】

 

●R.ef

3集を出す前に実は解散の危機があり、所属事務所と決裂寸前だったのが

一転再契約に持ち込んだものの、

4集をラストアルバムにすると発表して解散。

タイトル曲「Never Ending Story」のヒットで有終の美を飾る。

その後、なんとラストコンサートのライブまで収録したベストを発表。

 

そしてそして、まさか再結成するとは思わなかったです…。

 

 

 

 

 

 



●プルンハヌル 푸른하늘

5集がロングセラーを記録中に6集を最後に解散すると発表。

ラストアルバムであることを意識しまくった6集をヒットさせ、

更にラストコンサートの2枚組ライブアルバムを発売、

これがまた非常に出来の良いライブアルバムだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



●DEUX デュース 듀스

93年から95年まで、3年間を怒濤の如く突っ走った

2人組のHipHopグループ。アイドルと言っても良かったと思う。

人気絶頂期に解散を発表したものの、相変わらず2人の仲は良く、

要するに発展的解散というヤツだったんだろうと思う。

あそこで解散したから2人ともソロにスムーズに移行できたと思うし、

(数年遅れてたら正直わかりません…)

まさしくこれから、って時だったんだけどねえ…。

「여름안에서」

 



●SECHS KIES ジェクスキス 젝스키스

90年代に活躍したアイドル中、ほぼ唯一、

デビュー時のメンバーそのままで活動を続けた後、

僕たちは解散しますという記者会見を開いたグループ。

その宣言そのものはあまりにも唐突だったものの、

韓国アイドルの契約問題につきもののドロドロ感だけは

表立ってみせないで、その年のドリームコンサートを最後に解散。

内情はどうであれ、形としては最も「綺麗に」解散したグループ。

それもこれもチェッキーは事務所と契約書を交わしてなかったのが

自分たちの思い通りに解散できた要因だったのでは。

 

 

【若干微妙ではあったけど今が良いからまあいいか、な皆様】

 



●015B

1集も2集も本人達が「これが最後のアルバムだから…」という気概で作ったため、

どちらにも「僕たち別れます」的な歌が収録されているが、

結局6集までアルバムを発表した後にチョン・ソグォン정석원の

軍入隊理由で解散を宣言。(でも結局行かなかったらしい…)

当時はけっこう物議を醸した解散だったのだけど、

その後何度も再結成したりライブやったり今月もテレビに出たりしてるので、

なんとなく解散そのものがうやむやになってるかもしれないw

ただしテレビに出てるのは"ほぼEZEN(チャン・ホイル장호일の今のバンド)"。

 

 



●g.o.d

チェッキーと同様記者会見は開いたけれど、

解散ではなく活動休止を発表する会見だった。

なのでファンは皆、いつかはきっと…の思いで長らく待っていたのでは。

客観的には「いや、それ解散だし」と思わないでもなかったが、

完全体で再結成とはファンでなくても感慨深かったです。

 

 




【悪いのはあなたです。な皆様】

 

●タギ&チュニ 탁2준2

ソテジワアイドゥルやDEUXと同時期に活動していた2人組ダンスグループ。

当時超絶ヒット中だったヒョン・ジニョン현진영「흐린 기억 속의 그대」の

ソングライター、イー・タク이탁と、後にCLONのメンバーとなる

くーさんことク・ジュニョプ구준엽(DJ KOO)が結成し、

デビュー曲ヒット真っ最中にイ・タクが麻薬でお縄を頂戴して即時解散。

その頃ちょっと麻薬関係で歌謡界は揺れていて、

何人もしょっぴかれるのが続いたのでした(へちょらーとかも)。

過去の大麻経験が問われて姿を消した人というのもいました(イ・ヒョヌ이현우ね)。

 

 

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

うーむ、書き始めたらまた止まらなくなる予感…なので

ちょっとこのへんで一旦小休止。

 

書いていて思ったのですが、

ものすごくバタバタと色々な事柄が運んだ中で、

あそこで解散記者会見を開いたチェッキー(というか事務所)は

やっぱりGJ! だったかなー。

あれがなかったら、(そして事務所の思惑通り、

一部のメンバーだけを残すような状態になっていたら)

少なくとも今年の再結成はなかったような気がしますね。

また、ソテジワアイドゥルの解散・引退については、

一般的な「解散」のくくりからはみ出しすぎているなとも思います。

 

というわけで、この項、おそらく続く。

 

…たぶん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どう見ていいのかわからない…?(2)

およそ3年前、まだじふな〜ことキム・ジフン김지훈@TWO TWOがご存命の頃、

第一弾をお送りした「変なMV特集」の続編です。
いや、そんなタイトルじゃなかったですけどw

うーん、自分としては、よんとくす엉턱스클럽あたりの

妙なキモさを共感していただきたかったのですが、

実際に皆さんにご覧いただいたのはどうやら「中華飯店」ばかりらしいw

いや…いいんです、いいんですとも。お楽しみいただいてなによりです。

 

まあ、基準は私の気持ちの持ちようです。(キッパリ)

私の気持ちがいろんな意味でザワザワする、特に演出やシチュエーションに。

例によって古い曲ばかり並ぶので、ああこんな曲があるのねー、くらいに

ご覧いただければOKです。へへ。

 

●TOY 「여전히 아름다운지」相変わらず綺麗なのかい

よぬっちことキム・ヨヌ김연우がテレビで今もよく歌う歌です。

昨年「覆面歌王」でサンドゥル@B1A4 と歌ったというと

わかる方が激増する…かな?

TOY4集に収録された名曲ですが、このMV(の一部)はないよね…と

15年以上たった今も思います。

どこかわかりますよねw

ひよりんことユ・ヒヨル유희열、この頃こんな暗いイメージで

売ってたんだったかなあ。今じゃいいおとっつぁんですが。

 

●015B 「아주 오래딘 연인들」 長いつきあいの恋人たち

「ここまでエフェクトなしで低予算なのも…」とか書きましたが
低予算の部分だけなら今見るとどっちもどっちです。とほほ。
まあそれほど馬鹿馬鹿しくないからいいですよね。ははは。(ひいき目)
当時気になった記憶がないのでそれが不思議なんですけど、
この頃の015Bにはまだベースのチョ・ヒョンゴンがいたのに、
このMVには登場してないんです。
あと、後ろのバックコーラスの一番右の男性は誰??
因みに客員歌手はユン・ジョンシンの高校の同級生キム・テウ김태우。
というかですね、コレ、当時としては超珍しかった、
015Bのライブ収録を中心とした音楽ビデオに収録されたMVです。
MVそのものが殆ど無い上、音楽ビデオ(VCD含む)そのものが
ほぼ無かった時代にそれを作った015Bはけっこうエラかった。
(その前にピョン・ジンソプ변진섭が作ったのがあります)
しかし015Bは数年後に一念発起し(たかどうかは不明だけど)、
当時のMV史上最高額の予算を組んで制作に臨んだのです。
それは結構な大作なのでここでは紹介いたしません…。

 
●キム・ヒョンチョル 김현철 「일생을」一生を

私の知っているキム・ヒョンチョルの中で、
たぶん最も痩せていた時期のMVであります。
デビュー直後に大病を患った後かこの時期か、という感じ。
いや、記憶の中以上に痩せてるんで改めてびっくりです。
私が大好きな5集(1996)「冬夜冬朝」収録のタイトル曲。
ぎええ、もう20年前なのか…(衝撃)
歌詞も曲も歌い方も切なさ全開のヒョンチョル節炸裂な曲で、
MVもレトロなトーンでまとめていて素敵です。
素敵です。
…でもそれに騙されてはいかんのです。
歌の内容とMVが一致する必要はありませんが、
発展的な映画の撮影を少年時代に覗き見、
を更に大人になって思い出す、というシチュエーションが
当時非常に背徳的な香りがして身悶えしたものです(大げさ)。
コケティッシュなお姉さんたちに必要以上にデレデレする
幼少期のヒョンチョル少年(設定)がいかがなものかと。
しかも最後は無下に扱われるし…。
…ええ、気にし過ぎなのはわかってますけども。


 
●Baby VOX 「YAYAYA」

…再掲な気がする。でもまあいいや。

センターのカン・ミヨン간미연さん、顎が丸いです。可愛いのにねえ。

”女H.O.T”のふれこみでデビューしたものの、

ファーストアルバムで見事大ゴケしたBaby VOXは、

セカンドで大掛かりなリニューアルをして再起にかけます。

その甲斐あって↑の曲がヒットし、なんとかクビがつながって、

3集で更に急展開したセクシー路線が大当たりし、

2004年まで続くこととなったのです。

だから…わかる。必死なのはわかる。

でも必死すぎないか…?なんか痛々しいを通り越して、

悲壮感すら漂っていませんか…。

この曲で出始めた頃、歌番組の公開放送を見に行った友人が

「金魚ちゃんたち、すごく頑張ってた」と言ってたのを思い出します。

MVの中ではピンクのひらひらした衣装、

テレビでは黒とかで、まるで金魚のようだったんですよね…。

これを逃したら次はない、という覚悟のようなものを感じます。

個人的には、目がいっちゃってるシム・ウンジン심은진さんが

これより後の曲では普通のお姉さんになっていったのが残念でした。

 

そーいやこの頃(1998)、UFOがらみのMVが多かったなー。

 

●イ・スンファン이승환 「사랑하나요」愛してますか

優しいファンなら触れないで過ごすのですが、

まあ私はあんまり優しくないファンなのでw

それでもずいぶん長いこと、

触れずにここまで来ましたがついにネタにしてしまいました。すみません。

曲としては、今でもずーっとライブで演奏されてますし、

3月の東京公演でも勿論やりました。紙吹雪を飛ばすアレですね。

2枚組の7集「egg」のうち、ポップス路線の「Sunny side Up」に収録されています。

このアルバムは後にこちらの1枚だけ単独でも発売されています。

可愛い曲ですよね。歌いやすいし、彼のほのぼの路線曲としては

これからも長く愛される曲になると思います。

だからってーわけじゃーないですけどねー…ww

最後の方になると、見てる方が「どうしよう…」と思ってしまいますね(爆)

なんせ歌詞が

「僕も君を愛してる 君よりもずっとずっと長く

 一生笑っていさせてあげる 僕たちふたりで一緒に暮らしたら」

…なもんで〜。

 

どうしてくれるんですか、工場長w

 


コレで検索していただきました!

今回本文とは全然関係ないw
キム・ジェドク김재덕 @ Sechs Kies and J-Walk

 

相も変わらず毎日毎日、SECHS KIES ジェクスキス 젝스키스 で検索して

こんなところまでいらして下さる皆様、ありがとうございます。

正直言って想定を遥かに越えるチェッキー祭りっぷりなので、

なんかもう申し訳なさすぎる…。

サービス精神が案外旺盛な方な私なので、こんなに来ていただくと、

またチェッキーネタでなにか書いてしまいそうですがとりあえずここは置いといてw

たまには(…。)他の語句で検索していらして下さった方にも

お応えしようかと思います。(うう、それほどチェッキーでいらっしゃる方が多いのだ)

結構何度も同じ語句で検索されているのに、MVも掲載してないような曲もあるもので…。

そういう”検索された曲”をいくつか改めて並べてみたいと思います。

でも総じて、いらしていただいている検索語はそれなりにニッチですw

 

●キム・ヨヌ김연우「사랑한다는 흔한말」愛してるというありふれた言葉

もう6年前になるんですねえ。

TwitterかFacebookかどっちで見たか忘れましたが、

ユン・ジョンシン윤종신 が「君はホンモノの歌手だ」という

コメントとともにリンクしていた動画です。

急いでリンク先を見に行ってちょっと感動した覚えが。

漢陽大学の学園祭かなにからしいですが、

屋外の簡易ステージで雨まで降って、傘をさして、

それでもこんなにしっかり歌うよぬっち、すごいよよぬっち。

 

 

ホン・ソンミン홍성민 「기억날 그날이와도」思い出すその日が来ても

およそ3ヶ月遅れでKBS「不朽の名曲2 作曲家オ・テホ編」が

日本でも放映されたようで、

だからなのか今月に入ってから急に検索が増えた曲です。

番組でチョンイン정인が歌いました。これがオリジナル。

「応答せよ1988」OSTではNC.Aが歌ってます。

これとイ・スンファン工場長이승환「기다린 날도 지워질 날도」の因縁については、

番組でもご本人が語ってらしたとおりで、

セールスや人気的には工場長曲の方がはるかに上なわけですが、

こちらの方もこんなにも長く歌い継がれる歌になりました。

ホン・ソンミンは2007年7月末、飲酒中に脳出血を起こし、

一週間ほどの入院の末に亡くなりました。43歳でした。

 

 

●キム・ドンギュ김돈규 「단」ただ

今年、JTBC「シュガーマン」に出演し、

その最終回(7月12日)にもビデオ出演してましたが…

なんか怪しいおっさん感満載で心配になりました…。

彼が015Bの客員歌手としてデビューしたのは93年のこと。

4集、5集とメイン曲のボーカルを担当して、

特にナミ나미のヒット曲「슬픈 인연(悲しい縁)」をカバーしたのは

恐らく本家ナミより(たぶん大元の橋幸夫曲より)

015Bバージョンの方が一般的に知られていると思うほどヒットしました。

このへんのことはこちらにも書いてます

実際に検索があったのは↑の曲ですが、

↓も載せておきましょう。実は「橋幸夫 悲しい絆」の検索語の方が

015Bより多いんですけどねw

 

●015B 「슬픈 인연」悲しい縁

デビュー当時からキム・ドンギュは笑わない子で、

彼の笑顔は全然思い出せないです。


因みに、これ↓も最近検索が多い。↑と同じアルバムに入ってる曲です。

 

●015B 「단발머리」おかっぱ頭

 

客員歌手は美人の嫁さん(女優チャン・ガヒョン)と子供達に囲まれて

幸せな人チョー・ソンミン조성민。

原曲はチョー・ヨンピル조용필です。当時としては掟破りのカバーでした。

タンバルモリ、は短髪ではなく断髪の方。

ただし短髪でも間違いではないのですが。

ま、ほら、ニュアンスってやつですよ。ほほほ。

 

 

●シム・シン심신 「오직 하나뿜임 그대」ただ一人の君

この人は今でもテレビとか出るとこれを歌うので

(数ヶ月前に「覆面歌王」にも出ました。そろそろ日本で放映したでしょうか)

今の方がよっぽど歌がうまいし振り付けもオーバーだしw

エンタメ性はあるんですけどなんせ検索語が

「韓国 懐メロ たった一人の君」なのでw当時の映像でお送りします。

当時のトップアイドルですから!

さて、韓国では昔の恋愛スキャンダルとかは

あんまり蒸し返さない風潮があるような気がしますが、

私は韓国人じゃないんで蒸し返しますと(以前にも書きましたが)。

この方、恋多き元祖アイドル カン・スジ강수지さんの元カレだったわけですけど、

実はそのとき、別の人気歌手とスジさんを争って、選ばれたのがシム・シンだったとか。

で、そのもう一人の歌手というのが、

○91年も今も現役の歌手 ○あるジャンルで押しも押されもせぬトップ歌手である

○眼鏡をかけている

  …んだそうですよ…。

私は2人しか思いつきませんでした(爆)

さて、誰でしょうか。ははは。

 

 

 


初代TWO TWOが再結成した日。

先週はSECHS KIES(チェクスキース、ジェクスキス)젝스키스が出演した
MBC 「RADIO STAR」と、いつもに増して懐かしすぎるJTBC「シュガーマン」、
この2つの番組を繰り返し見てしまいました。
チェッキーはやっぱり未だに感慨深いですねー。
3年くらい前のブログでは、当時大好きだった「20世紀未少年」のH.S.g.RGの記事中で
再結成できそうなのはH.O.Tくらい…とか書いたのに、
g.o.dにもチェッキーにも抜かれてしまった…(NRGはしばらくナシでしょー)。
Radio Starは数ヶ月遅れで日本でも放映されてるそうなので(m-netかな?)、
黙ってたらカッコいいウン・ジウォン은지원とか、
踊ってたらカッコいいイー・ジェジン이재진とか、
相変わらず素人感満載だな!なチャン・スウォン장수원とかをまとめて楽しめます。

で、今回のメインイベントは「シュガーメン」(m-netでやってるのね)の方。
毎回、いやーたぶん今のK-POPファンどころか、90年代アイドル世代以降は
こりゃわかんないだろうなあ…な歌手だの曲だのを登場させて、
主に客席の30代、40代を涙目にさせている番組ですが、
今回はマジでその世代のみに焦点をあてたとしか思えない人選で、
Y2K、S#arp、U-PそしてTWO TWOが登場したのです。
しかもTWO TWO투투は2年半前に亡くなったじふな〜ことキム・ジフン김지훈以外は
なんとオリジナルメンバーじゃありませんか!
TWO TWO は2集、3集とメンバーチェンジし、
3集では既に当初客員ボーカルでしかなかったファン・ヘヨン황혜영だけしか
残らなかったので、まさか初代メンバーが出てくるとは!
(かといって、2集・3集のメンバーに出てこられてもそれは…)
だからじふな〜亡き後、再結成のさの字も
思い浮かべた事はありませんでした。いえ、存命中も…です。ええ。







キャロルアルバム
「Roo'Ra&TWO TWOのクリスマス」
より。
当時の韓国でのレゲエの捉えられ方が
よーっくわかる1枚の写真です。

ぬおおー
ファン・ヘヨンはともかく、オー・ジフン오지훈がいる!
全盛期のしんくんことシン・ジョンファン신정환に、
僕が一番シンパシーを感じるのはTWO TWOのオ・ジフンなんだよね、と言われたオ・ジフン。
TWO TWOのファーストアルバムの曲を全部書き、セカンドのヒット曲「浮気娘바람난 여자」を書き、
つまりTWO TWOのヒット曲は全部この人が書いたというオ・ジフン。
なのにひき逃げで捕まってクビになっちゃたオ・ジフン。
数年前、大病して入院中…まではわかったんだけどその後が一向に不明だったオ・ジフン…。
それがすっかり元気になって出て来てくれて安心しましたよ。
(因みに上の画像では後ろの左から二人め、しんくんの肩に手をかけてる人)
あとの一人ユ・ヒョンジェ유현재はあまりに変わってなくて驚きました(それだけか!)。

じふな〜の位置を勤めたのはINFINITEのナム・ウヒョン남우현。
オリメンと4人で「11/2 일과 이분의 일」を歌った後、
じふな〜の生涯の愛唱曲だった「그대 눈물까지도」をひとりで熱唱。
彼の歌がどうというわけでは全然ないけれど、
やっぱりじふな〜は唯一無二の声の持ち主だったなあ…と改めて思った次第です。

●TWO TWO with ナム・ウヒョン「1&1/2」


●TWO TOW 「1&1/2」オリジナル。


●TWO TWO 「그대 눈물까지도(君の涙までも)」

ドラマ「応答せよ1994」でもじふな〜が亡くなった翌日放送分にBGMで流れたそうです。
あとはFT ISLANDがカバーしてるのが知られてるかな。
↑の曲が最初はデビュー曲になるはずでした。
映像を見ると、というかアルバムを聴くと確かにTWO TWOは男子3人のバンドだな
というのがよくわかると思います。

なんとも、切ないねえ。

 


これが最初のお仕事でした。(ソテジワアイドゥル日本盤のこと)(3)

今回、このネタを書くにあたって、当時(94年)の原稿や
掲載誌紙を久しぶりに探し出して読みました。
結構面白いw 自分のだけじゃないですよ。いろんな記事が。
ネット記事はいつのまにか消えていることが多いので、
紙媒体はやっぱりいいなあと再認識しました。
…しかし、場所をとる…。
それ以上に場所を取っている当時の韓国音楽雑誌の山…。
誰かデジタル化してくれないものか(無理)。

同時に、90年代中盤から後半、いくつかの韓国ポップス愛好サークルに
参加していたのでその会報も読み返しています。
これがもっと面白い!濃い!!
主催の方がポケットマネーで印刷・配布してくださってたり
(Cさんその節は本当にありがとうございました。)
しょっちゅうみんなでカラオケ行ったり
(Fさん本当に楽しかったですありがとう。)、
今は殆どの同志の方と連絡が取れなくなっていますが、
超超ディープな世界がそこにはありました…。

で。なんでかわからないんですけど、
私の元にはユン・ジョンシン윤종신の生写真が
なぜかものすごくたくさんある…。(全ていただきもの)
いろんな方が、イベントやライブで撮ってきた写真を
送って下さったのです。

よほどみんなにファンだと思われていたらしい…。
いや、ファンなのは確かですが…。
うーん、当時もなんでだろう、と思ってましたが
改めて見ると本当になんでだったんでしょう。
そんなに私、ユン・ジョンシンファンアピールしてましたっけ??


さてさて、本編に戻ります。
今回でちゃんと終わるでしょうか…(不安)
前振りが長過ぎるのはわかってます、わかってますけども(^^;)。


新宿プリンスホテルでテジ君に対面した私は、
真向かいに座ってる私と担当さんの顔を全く見ないテジ君に、
一抹の不安を抱きながら「내 맘이야」の歌詞を差し出しました。
(その前にいた喫茶店で急遽書いたものでした)

まずテジ君がしたことは、
その歌詞の上に鉛筆(その場で誰かに借りたと思います)で
「내 맘이야」と書き加えることでしたw

歌詞直されてます…すみません。

で、この歌詞の意味が正直よくわからないんですが…と申しましたところ、
その時のテジ君によりますと…

「特に意味があるわけじゃない。
自分が、心のままに、好きなようにやりたい、言いたい、そういうこと」

ということでした(かなり強引にまとめました)。
そこからタイトルが「オレの勝手だろ」になりました。

あ、そうですか…あんまり意味ないの?え?はあ…

更に「韓国でもね、歌詞がわかりにくいって言われてるんだよね」。
あ、そうだよね…そのとおりだと思うわ…。
結構支離滅裂だもんね。

そこで担当Aさんがこんな提案をされました。
「サザンオールスターズの曲にも、歌ってるんだけど歌詞が普通に書いてないのがあって、
そういうふうに記号で埋めるのはどうかな?」
しかしテジ君はそれには
「ちゃんと歌詞があるのに載せないなんてのはダメ」ときっぱり。
同時に、元々の歌詞カードが金文字印刷で読みにくいから
色を変えたいとの提案にも
「韓国ではそれは言われた事ありません」(きっぱり)
それは韓国人は聞けばわかるからじゃないのか!!w
おとなしそうなつるんとした顔をして、
(結構きつい口調で)バッサバッサと斬りまくるテジ君に
私もだんだんと圧倒されて、この場にいることを後悔し始めた頃に、
じゃあこの歌の訳詞をどうやったのということになり、
通訳の宋嬢を交えて検証することになりまして、
テジ君の鬼っぷりが発揮されることになりました。

まず、テジ君が1行ずつ歌詞を読み、私が訳詞を読み、
それを宋嬢が間違った表現ではないかを判断し、テジ君に伝える。
それを聞いたテジ君が「それ違う」とダメ出し。
宋嬢が私にこういう日本語にして下さいと伝える…

ちょっと無茶苦茶ややこしい作業でした。

私はそれまで(も今もですが)、訳詞とは
翻訳だけど歌の詞だから、読む時の調子とか、
詩的あるいは詞的な表現が大切だと思っていました。
中国のCDの翻訳をいくつか手がけている私の姉や知人も、
大事なのはそういう表現だと言っていましたし。
でもテジ君は詞的な表現ではなく、
即物的な直訳、逐語訳を要求してきたのです。
例えば、내 맘이야の場合、冒頭の
「그런데 지금 나는 TV를...」を「さて今僕はテレビを…」と訳したら
「ところで今僕はテレビを…」に直されるとか、
「나가볼꺼야」は「出かけよう(意志)」ではなくて
「出て行くぞ(強い意志)」に、
「난 신문을 보면 눈이 뒤로 돌아가」は
「新聞を見ると目が(後ろに)回る」ではなく
「新聞をずっと見るとアタマがおかしくなる」に。
確かに中国語よりは韓国語の方が、日本語に構成が近いので、
ちょっとの語尾の違いがニュアンスの違いが明らかになるんですね…。

そうしてこの曲だけで、15箇所以上の直しが入りました。
ただ、その直しの半分くらいは、
今見るとわかるんですが要するに、
テジ君がどういう気持ちでこの詞を書いたかを説明してるんです。
逐語訳だけどそうでもない部分(↑の新聞のくだりとか)もあり、
あ、そういう意味なのね…と20年ぶりに納得したところが多いです。
時間が経つって大切ですね〜〜〜。


次にとりかかったのが「渤海を夢見て발해를 꿈꾸며」。
民族分断をとりあげた社会的問題作と言われた曲です。
私は慣例により우리 (一人称複数)を「僕たち」と訳しましたが、
テジ君は「もっと強くて難しい言葉がいい」というので「我々」になりました。
いやー、ちょっと「我々」ってアンバランスですよね…。
でも鬼のテジ様のご指定です。
「알고 있나」は「わかってるの」じゃなくて「わかっているの」に、
「우리가 서로 손을 잡은 것으로 큰 힘인데 」は
「互いに手をとりあうのが大きな力になるのだから」が
「互いに手をとりあうだけでも大きな力になる」に。
この時のテジ君のなにが鬼かって、
指摘の仕方が結構…かなり…えーと…
き、きつかった…。
たぶんその日は忙しすぎてかなり機嫌が悪かったと思うのです。
衣装にメイクのままであちこちの取材に飛び回って、
こんなアホの訳詞にまで付き合って。
なんだか申し訳なさで一杯でした。

でも「시원스레 맘의 문을 열고」の部分では、
自分の着ているジャケットの打ち合わせを両手でぱっと開いて
「こういうこと」と教えてくれもしました。
서로를 겨누고 있고(互いを狙っている)の部分では、テジ君が、
ライフルを構える真似までして「銃で」狙う、を強調して
その単語を入れる事になったり。
最初の頃はギクシャクしていた作業も
だんだんと滑らかに進むようになってきたのです。

このくらい進んでくるとちょっと気になったのが、
通訳の宋嬢が自分なりの見解をちょくちょくはさむことでした。
日本語と韓国語は非常によく似ているけれど、
それでも全然そのまま表現できない言葉は沢山あります。
それを補足してくれるのはいいんだけど、
韓国語詞と日本語詞を両方聞いてしまうことで互いをつい補ってしまう…
そういうことが起きていたわけです。

「渤海」が終わると次は「子供達の瞳で아이들의 눈으로」。
この曲はそんなに難しくなかったのでトントンと進みました。
が、それでも直しがはいるはいる。
歌の最後に
「모두를 사랑하지요. 우리와 함께 있어요.
모두를 사랑하세요 .사랑을 주세요」という詞があります。
사랑한다 というのは実はけっこう訳しにくい言葉で、
愛なのか恋なのか、사랑을 한다 は愛をする?愛する?とか
前後の状態であれこれ考えなくてはならない言葉なんですが、
これを最初は
「すべてを愛そうよ 僕らと一緒にいよう
 すべてを愛そうよ 愛しておくれよ」と訳したのですが、
「すべてを愛してる 僕らと一緒にいよう
 すべてを愛してよ 愛を伝えてよ」へと変更になりました。

愛そうよ→愛してよ、はその通りです。
でもなんで사랑을 주세요(直訳・愛をください)が
愛を伝えてよ、なのかは…それはテジ君の御心のままに、としかw

次の「教室イデア교실 이데아」を始めたとき、
テジ君は次の取材時間が迫って来てしまい、移動しなくてはならなくなりました。
ええ…! 困ったなあと思っていたら、
帰国までの数日の間に、もう一回場を設けて作業をしましょう、
ということにしていただいたのです。

 

これが最初のお仕事でした。(ソテジワアイドゥル日本盤のこと)(2)

ちょっと体調を崩してダラダラしているうちに、
MBC「無限に挑戦・トトガ2 チェクスキース」篇が始まってしまいました。
おかげさまでこのところ、また「ジェクスキス」「Sechskies」などで
検索していらっしゃる方が激増しています。
てか、ジェクスキス、で今はだいたい通ってるんですかね?
젝스키스だからそれでいいんですけど。
いやー。まさかまさか、チェッキーが地上波で再結成するとは
去年の今頃はまだ考えもしませんでしたよ…。
ゲリラコンサートと放送は韓国でもなかなか評判になりまして、
16日の放送当日はカン・ソンフン강성훈がかっこいい〜というツイートが
やけに多かったものでした。髪型も変わらない、って。
確かに。
去年くらいまでは違ったけどw
親方ことイー・ジェジン이재진は相変わらずでした…。
お店始めた頃にテレビで見ましたが、あれ何年前?2年前くらい?
結構久しぶりでした。
最後の方にはけっこうダンスも歌も練習の甲斐あってサマになってきたので、
来週の続きも楽しみです。

さて、本題に戻ります。
前回書き終わってから思い出した事がありました。

前回、眼鏡について余談を書きましたけど、
実はこの日本盤ジャケットの撮影時、
テジ君は眼鏡を一度だけ外したそうです。
カメラマンにどうしても外してくれと頼まれて、
ずーっと頑に嫌だ、断ると言い続けていたのが、
熱い要望に負けたのか、何かが彼を動かしたのか、
ついに眼鏡なしの写真を撮る事ができたのでした。
テジ君が眼鏡を外した写真なんて、超弩級のレア物です。

…でも没になりました…とさ。ちゃんちゃん。

20年忘れてましたねー。たぶん初めてする話です。
ソ・テジ서태지ファンの方に教えてあげて下さいw

さて、私はといいますと、
そんなこんなで無事オーディション(?)を通過し、
(というか時間的に通過せざるを得なかったと思いますw)
今読み返すとありえないほど上から目線のコラムを書き上げて
(私の芸風はこれで決まりました…)
原稿をアンティノスに持って行ったとき(当然プリント入稿です!)、
ちょうどジャケットのゲラができたからと見せていただくと、
写真はともかく歌詞のハングルが一見して誤植が多い事に気がつきました。
その頃はまだパソコンではなくて写植(死語)だったので、
ハングル専門の写植屋さんに出していたそうですが、
それにしてはあまりにも間違いが多かったので指摘したのと、
訳詞がちょっと引っかかるところがあると申し上げましたら、
追加報酬での校正と、差し替えはできないけど全曲の訳詞をしてみてほしいと
改めて依頼をいただいたのでした。

全然関係ないけど、私、写植打てるんですよ!←本当に関係ないし人生の役に立ってない

かくして校正作業に入ってみたら、
いやいやいや、実に1曲あたり10箇所以上の間違いがありまして、
ここまで間違ってるとなにか作為的なものすら感じるほどでした。
この時の仕事で一番感謝されたのはこの校正作業だったのです。

この1・2集のコンピレ盤となった日本デビュー盤は、
表・中のジャケ写は完全に日本オリジナルだったのですが、
躍動感や勢いを出したいというコンセプトに
テジ君本人は全面的に協力してくれたものの、
韓国側の事務所から大不評だったのだそうです。
衣装も、写真も、ついでに歌詞の翻訳も。
韓国ではアイドル然としたポーズを決めた写真が基本ですから、
ブレて顔がちゃんと写ってないのは論外だったんですね。(↓こんな感じ)

訳詞については、留学生(日本人なのか韓国人なのかは不明)に
安くやってもらったらケチがついた、と担当さんがこぼしていて、
それで1月に出す3集日本盤の翻訳をやってもらえないかということになったのです。
それが10月に入ってからだったので、
やっぱりちょっとタイトめだったのですが、
そのときの私の嬉しさったらありませんでした。
その94年の秋というのは、忘れもしない、
書籍「アジアンポップス事典」と雑誌「ポップアジア」(創刊号)の原稿を
相次いで依頼された月でもあったのです。

 

これが最初のお仕事でした。(ソテジワアイドゥル日本盤のこと)(1)


ソテジワアイドゥル日本デビュー盤。サインは後で入れてもらいました。
私はいったいこのアルバムを何枚自腹で買って韓国に送った事でしょう…。
95年まで頼まれまくりましたっけ。

最近ますます(昔の)歌詞訳に関心が高くなりまして、
誰も望んでないけどあれこれアップしております。
なんでしょうね?初心に帰るとかw そういうわけでもないですが。
というより、あんなに一生懸命、
独りよがりながらも韓国語を勉強していた頃が
懐かしすぎて死む、みたいな。
アレですね、老人は過去を語る、ってヤツでしょうか…。
(高校の生物の先生の言葉↑)

なのでいきなりですが、過去を語らせてもらいます。
(いや、いつも過去ばっかだし…)
ソテジワアイドゥル서태지와 아이들が日本でアルバムを出したのは、
1994年秋のことでした。
その年の8月、私は当時バイトしていた中華レストランのオーナーで
日中交流関係の仕事をされている方とそこの社員である姉を通じて、
青山ツインタワーの中にあった、アンティノスレコードに呼ばれて行きました。
アンティノスレコードはアンチ・ソニーを標榜したSONYの新レーベルです。
用件は、今度アンティノスの第一弾として
ソテジワアイドゥルが日本でデビューするので、
プロモーションに協力してもらえないだろうか…とのお話でした。
その時点で数日前に発売されたばかりの3集も、既に日本盤を出すことは決まっていました。
まず10月発売予定のCDは1集と2集からのコンピレーション、
もうジャケット撮影も済んでいて、
歌詞の翻訳も終わっているのであとは発売するだけの状態となっている。
現在パンフレットを作成しているが、そのうち1面に、韓国に関するコラムを書いてほしい、
という、その時の私にしてみれば夢のような話でした。
その時、プロモーションについてアンティノスがメインでお願いしていたのが、
当時の韓国音楽ライターの頂点にいらした湯浅学さん(私の大学の先輩です)と
その弟子の宮腰浩基さん(私の師匠です)で、
恐れ多くも湯浅さんが見開きで長い文章を書かれた裏に、
僭越ながら私の文章とイラストを載せていただく事になりました。
結構スケジュールはタイトだったんですけど、当時の私は昼間と夜のバイトをしながら、
母と祖母に「フーテン」「ルンペン」と呼ばれるダラダラな生活をしてたので、
あっという間に仕上げてしまったと思います。

その年の初めの占いで
「今年は向こう8年のあなたの人生を決める重大事件が起きます」というのがあって、
いい大人になってお金もなくダラダラした毎日を送ってる自分に
そんなことがあるんだろうかと疑っていましたが、
その後何度考えても、この時のことが「そのこと」だったのだなと思います。

で、その原稿を書くにあたって、まだライターでもなんでもなく
どこの馬の骨かもわからない若い女の子(だったと思いたい…)に
いくら日本におけるアジア音楽界の有力者の紹介といえども
いきなり結構なスペースの原稿を書かせる訳ですから、
アンティノスも大冒険だったんでしょうねえ、
ソテジワアイドゥルについてちょっとなにか書いてみてもらえないかと言われて
A4ペラの原稿を最初に提出いたしました。
言ってみればオーディション的なもの?だったんですかね??
つまりよっぽど…当時韓国音楽のライターがいなかったという…まあ、そういうことです。

それが以下の文章です。
 

イー・ウォンジン(이원진)がいたことを。

ある日突然更新されるふるいことばっか書いたブログです。
「ジェクスキス」で検索していらっしゃる沢山の皆様ようこそ!w
でも今回はチェッキーのことはなんもかいてありません………  …。てへ。

昔(90年代ね)から思っていたことのひとつに、
韓国ポップスにはデュエット曲がやたらあるなあ、ということでした。
相対的にではなく、絶対的に。
例えば今も「私は歌手だ나는 가수다」や「覆面歌王복면가왕」などの競演歌番組では、
デュエット曲ミッションが大きなウリになっていますし、
90年代末に一世を風靡した(かもしれない)コンピレーション盤シリーズ
「名作」(Rock Record KOREA)にも早々と「名作duet」が出てました。
まあ、後者は「それデュエットちゃう!」というのがいくつか入ってましたw
→例・PANIC「タルペンイ」←単に2人組の楽曲なだけ。

今でこそ、デュエット曲の歌い手欄には
●●feat.○▲
などとクレジットが入っておりますが、
当時はほっとんど入っておりませんで、
有名な歌手とのデュエット曲でも相手が誰かわからない…というのがけっこうありました。
→例・イ・ムンセ이문세「이별 이야기(別れ物語)」
この曲のデュエット相手は今でこそコ・ウニ고은희(息子さんがオーディション番組に出たそうですよ)と
いうのは普通にどこにでも出てますが、発売当時はクレジットがなかったそうで、
しばらくの間誰だかわからなかったそうです(伝聞)。

↑この話はこのように伝聞ですが、私が知っている例のひとつが
イー・ウォンジン(イ・ウォンジン이원진)のこの歌。

●시작되는 연인들을 위해(1994)付き合い始めた恋人達のために

デュエットのお相手はリュ・グムドク(류금덕)。
このお姉さんはへちょらーことシン・ヘッチョル(シン・ヘチョル신해철)の
ソロアルバムにサブボーカルで参加してたりするんですが、
90年代後半にグループ活動があった以降の消息が不明です…(このブログ、消息不明歌手多いなあ…)。
でもって…
今でこそ、デュエットの名曲!とか言われてますが…

…。

…。

これもデュエットっていっていいんですか???ww

ハモってもいないし、ユニゾンもしてないし!

まあいいんですけども。
で、これがイー・ウォンジンのデビュー曲です。
デビュー曲で、最も売れた曲です。
彼の発表したアルバムは2枚。
セカンドの時にはあまりテレビ出演しなかったこともあって、
こうして動画でお姿を見るのはたぶん今の時代になってからの気がします。
あ、こんな顔してたっけなあ、と思いますw
セカンドはそんなに売れた印象はなくて、
ずいぶん経って気がついたら最近アルバムだしてないなあ…と思った頃、
(といってもかれこれ数年後の1999年かと…)

このアルバムを手にすることになりました。


「追憶」というタイトルのアルバムで、
サブタイトルは「国内初の遺作集」
取り上げられているのは、
キム・グァンソク、キム・ソンジェ、チャン・ドク、イー・ウォンジン…

はああ??
イー・ウォンジン??彼死んだの???!!!!

いやぶったまげましたね、正直。
数年ぶりの消息が遺作集ですから。
帰宅してネットで検索かけて、ようやく手に入れた情報が、
歌手イー・ウォンジンはアメリカで事故に遭い、死亡。
その一節のみでした。
既にその頃、彼は韓国ポップス界においては過去の人だったので、
それだけしかわからなかったのも仕方ないかなあ…と思いました。

ところがそれから時は流れて10年以上、
テレビの歌番組でも懐メロをカバーする傾向が増えて来て、
この歌をデュエット(でいいか、まあ)で取り上げる歌手が増え、
徐々に彼の死因についての記述が増えて来て…

前述のように、私が最初に探しまわったときには「事故」との記述でした。
なんの事故かな、交通事故かな…と思ったんですけど、
どうやら単純な交通事故で亡くなったわけではなかったのです。

 

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