4色同化

ちょっと半年くらい前に出だしだけ書いて放っておいた記事があったので、

掘り起こしてみることにしました…。

 

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既に旧聞となって久しい話題なのですが…

昨年秋、11年ぶりに「4色同化(사색동화)」というコンサートが開かれました。

出演したのは、キム・テウ(g.o.d)、MAMAMOO、キム・ヨンジ(元Seeya)、BigBrainの4組です。

 

カラーの違う4人の歌手が構成するかたちで開催されて来たこのライブの歴代出演者は以下のとおり。

2001年:キム・ジャンフン김장훈、イ・ヒョヌ이현우、ユン・ジョンシン윤종신、キム・ヒョンチョル김현철

2004年:イ・スンファン이승환、ユン・ジョンシン、キム・ヒョンチョル、ユンサン윤상

2005年:キム・ジャンフン、フィソン휘성、Fly to the sky、MtoM

 

私の記憶では2004年の回がかなり(報道記事的に)盛り上がったような覚えがありますが、

単に自分の趣味だったのであれこれ読んだから…な気もします(たぶんソレ)。

いや、そうでなくてもこの回が一番豪華なんではないかと…

 

10年以上も忘れられてた…じゃなくて中断されていたこのライブですが

元々あったのはこのコンピレーションCD(2001)。

 

左から ユンサン、ユン・ジョンシン、キム・ヒョンチョル、イ・ヒョヌ。

揃って88~90年頃にデビュー、当時30代前半で

コンスタントにアルバムを発表している中堅〜ベテランどころ、

更に「いい年してまだ独身(老總角 놏총각)」…という4人が集まり

出来上がったのがこのアルバムですが、中身は普通にコンピレーションアルバムでした。

つまり新作があるわけでもなんでもなく(新録音は一部ある)、

その前数年間の代表曲と最新ヒット(新曲ではない)を4曲ずつ、計16曲集めています。

でもジャケットも中ジャケもちゃんと新しく撮影しているところに

なぜか気合いがはいってんな!と思います。

とにかくこの頃、コンピレーションアルバムが雨後のタケノコのように出てまして、

あっちからもこっちからもいろんなコンピレが出て、

同じような曲が何度も収録されていたりしていました。

どちらかというとリメイクアルバム攻勢がもっと伸して来てる頃だったので

コンピレアルバムにも企画力が必要となってきてたわけですが、

こういう枠があったんか!と思ったのを憶えてます。

 

 

そして…

このCDを手にした私は…

結構長い間…

本当に長い間………

 

4色童話 だと思っていました!

   …ひゃ〜〜

 

無理ありまくり。

 

そして、アルバム通して感じることは、

4つの個性が集まって同化…というほどバラバラの個性でもないですよねw

それぞれが歩む道はそれほど乖離してないかもしれません。

音楽的にはみなさんかなり近い位置にいる人たちだと思います。

 

この後、ユン・ジョンシン、キム・ヒョンチョル、ユンサン、だいぶ経ってからイ・ヒョヌと

順当に独身引退をしてゆき、今ではいいおとっつぁんばかりになりました。

当時32,3で「老總角」と言われていたのも今思うと時代だなあということでしょうか。

今でも總角は32歳以上と思う人も多いようですが、大体35~37以上と捉えているような印象です。

今じゃ90年代の高校生アイドルがその年代ですから…。めぼしい第一世代アイドルは總角ばっかしw

つか、アルバムの売りコピーが「4人の總角」って、他にいい売り文句がなかったのかしら…。

 

今でもこの人たちが韓国歌謡の、というか芸能界の屋台骨を支えるのは確かなのですが、

キム・ヒョンチョルはいい加減、アルバムを製作した方がいいと思います。

 ※あくまで個人の意見です。

 

 


2007年9月の記事。

前に書いてからまだ1ヶ月くらいしか経っていない気がしていましたが、

よく見たら3ヶ月近くも経っていてドびっくりでした…。

 

前回の記事をちょっとばかり引きずりますが、

「少女」イ・ソウンちゃんは(ってもう30過ぎだけど)、

少し前、イ・スンファン工場長のFaceBookに「Dream Factory同窓会」というキャプションで

作曲家ファン・ソンジェと一緒に写真に写っていました。

帰国してたのかー、このメンツは珍しいなーと思ってはいましたが、

(パク・シネと違って、DF卒業後に工場長があまり彼女のことを語らないので

 数年前アルバムに参加したとはいえ疎遠になってるのかと思ってました)

なんと!7月末〜8月初めのMBC「覆面歌王」に出てました。

(うーむ、これ自体が既に1ヶ月以上前の番組だぞ…)

ソウンちゃん、本当の少女だった頃は、若さにまかせて

どこか無理して歌ってませんかと思っていましたが、

いややっぱ上手いわあ…

歌王になれなかったのは残念です。

 

で、話は全然変わりますが、

その時の「覆面歌王」の芸能人評定団に、ユン・ヒョンスクが出てまして、

ユン・ヒョンスクといえばあのDSPが排出した混声アイドルZAMのボーカルでした。

2008年か9年に、NHK-FMのラジオに出させてもらった際に、

韓国アイドルの歴史について話して下さいと言われて書いた原稿があり、

その書き出しがDSPとSMのライバル対決の最初はZAMとヒョン・ジニョンだった…

というネタでした。

結構な力作だったのですがwその部分はバッサリ切られ、

確かカン・スジのデビューから始めたかと思います。

その原稿があれば面白いと思い、原稿のコピーのフォルダを探しましたが

残念ながら見つけられませんでした…

いや、原本がどこ(のハードディスク)にあるかはわかってるんですが、

それを出して来るのがちょっと面倒だったというそれだけでw

気力がある時に出して来て読もうと思います。

 

そして今回は、その原稿を探していた時に見つけた、

実にシステマチックに90年代歌謡(の表舞台)をまとめた原稿を掲載します。

おそらく、代表的な歌手とその曲を挙げるようにとのことで書いたのだと思います。

ファイルの最終更新日が2007年9月。ますます何の仕事かわからない…。

 

----(以下、原文ママ)---

 

・キム・ヒョンシク「ネサラン ネギョッテ(愛する人よ そばにいて)」(90)
キム・ヒョンシクは80年代を代表する韓国の男性シンガー。フォーク、ロック、ブルースを基調に、ハスキーな声で歌い上げるスタイルはその後延々と後続歌手を産んでいる。この曲は90年に彼が亡くなった後に発表された遺作であり、91年の大韓民国映像音盤大賞(ゴールデンディスク賞)大賞受賞曲。その後1年以上、ヒットチャートのトップ10にとどまり続けたロングセラーとなり、何人ものアーティストがリメイクするスタンダード曲となった。

 

・パク・チョンウン「オヌルガットゥン パミミョン(今日のような夜には)」(90)
パク・チョンウンはアメリカからの帰国歌手のはしりであり、80年代末から90年代初頭、ピョン・ジンソプと共に韓国中を夢中にさせた男性バラード歌手ブームの一端を担った。この曲も90年から92年までの長きに渡ってチャート上位に君臨した。90年代前半までは1年単位のロングセラーはさほど珍しくない。05年には神話がリメイクしている。

 

・カン・スジ「フットジン ナナルドゥル(散らばった日々)」(91)
90年、アメリカからやってきた彼女の登場は多くの人々に衝撃を与えた。まるで妖精のような儚げな可愛さと、自身で作詞までこなしてしまう才能と、透明感のある歌声はそれまで韓国になかったタイプのアイドルだったからだ。90年代は後半まで女性歌手不遇の時代だったのだが、アイドル分野では彼女がほぼひとりで頑張って屋台骨を支えた。この曲はセカンドアルバム収録で、ユンサン(シンガーソングライター)とのコンビで生み出したヒットのうちの1曲。

 

・シン・スンフン「ポイジアンヌン サラン(見えない愛)」(91)
シン・スンフンは90年代を代表するPDであるキム・チャンファンが最初に世に出した歌手で、現在に至るまでの長きに渡り、韓国バラードのトップに君臨する国民的大スター。この曲が収録されたセカンドアルバムは、当時としてはまだ珍しかったミリオンセラーを記録、92年のゴールデンディスク大賞を受賞した(93年も連続)。この曲で確立された彼の特徴である泣きのバラードは、永らく外国向けではないと(PDキム・チャンファンにも)言われてきたが、02年「I Believe」の全アジアヒット以降の活躍ぶりはめざましいモノがある。

 

・ソテジワ アイドゥル「ハヨガ(何如歌)」(93)
90年代の韓国ポップスを語る上で絶対に外せない、音楽界ばかりか多くの社会的通年すら覆した3人組(ソ・テジ、イ・ジュノ、ヤン・ヒョンソク)。92年、それまで実験的に一部で取り入れられていただけのラップを前面に押し出したダンス曲「ナン アラヨ」で韓国中を席巻。ラップをはさみつつメロディを聴かせダンスを見せる、という音楽スタイルを確立、その後現在までずっと主流となっている。96年に突如解散するまで、いやそれ以降も、彼等の一挙手一投足に韓国全体が注目し、大統領並の影響力を持つとも言われた。「ハヨガ」はセカンドアルバムの大ヒット曲。韓国伝統音楽を巧みに取り入れた凝った音楽作りでファン層を年長者まで拡げ、ただのアイドルではないことを見せつけた。

 

・キム・ゴンモ「ピンゲ(言い訳)」(93)
93年というのは韓国で初の文民政権が誕生した年で、社会全体が急激に軟化していった年でもある。PDキム・チャンファンに見込まれて歌手&アレンジャーとして92年にデビュー。当時のインタビューで「韓国のクインシー・ジョーンズとなりたい」と語るほど初めからブラック志向が強く、この頃ようやく市民権を得つつあったブラックミュージックを一般的にひろめた功労者である。「ピンゲ」は93年末発表のセカンドアルバム収録で、94年初頭から爆発的にヒット。一大レゲエブームを巻き起こし、ダンス歌手もフォーク歌手もレゲエレゲエで終始した年となった。94年から3年連続でゴールデンディスク大賞受賞。

 

・SOLID「イバメ クチュル チャプコ(夜の果てをつかまえて)」(95)
SOLIDはアメリカ出身、母語は英語、韓国語はちょっと苦手…という3人組。たいへん洗練された本場仕込みのR&Bを、韓国人の好みに合うようにアレンジしたこの曲が大ヒット。それまでなんとなくテイストとしては多くの歌手がもっていたものの、なんとなく曖昧としていたジャンルとしてのR&Bを、韓国にしっかりと根付かせることとなった。ただし、その後、あまりにも大衆が求めるモノと自分たちのやりたい事とにギャップがあることに抗議して97年解散。現在、キム・ジョハンはソロ歌手、チョン・ジェユンは主に台湾でPDとして活動。最近、イ・ジュンとチョン・ジェユンが元UPTOWNメンバーとSOUL-TOWNを結成した。

 

・DEUX「クルレルル ボソナ(束縛を外して)」(95)
高校の同級生であったイ・ヒョンドとキム・ソンジェがバックダンサーなどを経て93年にデビュー。当時ダンスグループ大増殖中にあってHIPHOPを追求し続け、歌謡的要素を強く含む韓国ヒップホップの元祖となった。この曲は名盤の誉れ高いサードアルバムの代表曲で、彼等の集大成でもある。アルバム発表わずか2ヶ月後にDEUXは解散。キム・ソンジェはソロデビューするが、翌日に帰らぬ人となった。イ・ヒョンドはプロデューサー、ソロシンガーに。

 

・イ・スンファン「チョニルドンアン(千日間)」(95)
イ・スンファンは89年デビュー、ほのぼのとしたバラードで少女達のアイドルとなる。柔らか且つ感傷的な歌声が特徴だが、ライブになると一転、パワフルなステージングを見せ、「ライブの帝王」とも呼ばれている。そんな彼の豊富な表現力を余すところなく発揮してヒットしたのがこの曲であり、初期の代表作となった。一時期、何人もの歌手がカラオケで唄う歌としてこの曲を挙げていたこともあった。本人は90年代後半以降、音楽事務所「ドリームファクトリー」の代表として歌手やコンポーザーを育成しつつ、自身の作品精力的に制作している。

 

・CLON「クンタリシャバラ」(96)
送り出す歌手が皆メガヒットを飛ばしまくり、90年代に一時代を築いたPDキム・チャンファンが、この年満を持してデビューさせたのがカン・ウォルレとク・ジュニョプのCLONだった。高校時代からの親友同士で共にバックダンサーから芸能活動を始め、この時既に27歳。この曲はデビュー曲。鍛え抜かれた体を駆使したシャープなダンスと誰もが馴染みやすい軽快な音楽が受けて幅広い層から支持され、中華圏でも人気が出た。00年、カン・ウォルレが交通事故で車椅子生活となるも、まさに血のにじむ努力の末にステージ復帰まで果たした。

 

・キム・ジョンソ「アルムダウン クソク(美しい拘束)」(96)
80年代末に韓国ではヘビメタブームが起こり、いくつもの優秀なバンドが結成され、日本でも紹介されたバンドがいくつかある。そのうちのひとつ、シナウィにキム・ジョンソは80年代後半から90年にかけての2度在籍し、プファルや他のバンドを経て92年にソロデビュー。90年代は韓国ロックが全体的にかなり弱かった時代だったが、彼は音楽面でもセールス面でも最も成功した歌手の一人である。驚異的な高音域、発声の力強さ、メタルからバラードまで幅広いジャンルをこなす表現力など、なかなか他の追随を許さないというか、声ぢからの強力な人である。5集に納められたこの曲は歌謡的エッセンスも凝縮された、90年代の彼らしいヒット曲。

 

・H.O.T「ヘンボク(幸福)」(97)
相次ぐ歌手達の不幸やソテジワアイドゥルの突然の引退発表で芸能界大混乱で始まった96年、突如わき上がった高校生歌手旋風。それまで学生は勉学に励むモノであり、芸能界に入るのは20歳を過ぎてから…が当然だった。その中心的存在であり、ビジュアル・歌・ラップ・ダンスそして若さと全て揃ったグループとして最も人気を博したのがH.O.Tである。彼等を含め、この時期にデビューした高校生達の多く(チェッキー、FIN.K.L、ヤンパ、イ・ジフンなど)は、現在も第一線で活躍している者が多い。この夏、事務所の後輩であるSuper Juniorにカバーされたこの曲は、ゴールデンディスク大賞も受賞したセカンドアルバムからの大ヒット。2001年の解散まで、アルバムを重ねるごとに彼等の音楽はコアなロックやR&Bバラードなどよりハードになっていったが、初期のお気楽なアイドルポップにもメンバーそれぞれの個性が反映されていて面白い。

 

・S.E.S「('Cause) I'm Your Girl」(97)
H.O.Tに続いて同じ事務所からデビュー。90年代韓国女性(芸能人・一般ともに)のメイクというと、山形の眉・茶色く縁取ったマットな唇・気合いの入ったアイライン…というかなりきつめが主流だったが、あくまでもナチュラルなハイティーンのイメージそのままに出てきたデビュー当時の彼女たちは、この年に数多出現したガールズグループの中でも異例の可愛さだった。そして瞬く間にトップアイドルに駆け上がり、この後世紀をまたいで続くことになる女子アイドルブームの中心となる。この曲は記念すべきデビュー曲で、リードボーカルであるパダの圧倒的歌唱力が衝撃を与えた登場でもあった。

 

・チョ・ソンモ「スルップン ヨンホンシク(For Your Soul)(哀しい霊婚式)」(99)
チョ・ソンモは98年に自身の顔を明かさない覆面歌手としてデビュー、イ・ビョンホン主演の長編ドラマMVとハイトーンの美しいバラードで話題をさらった。本人が公に出るようになった後も長編MVは次々と作られ、ほどなくしてそれは韓国MVの定番となった。この頃、未曾有の大不況下の韓国ではアイドルグループブームの頂点にあったが、その中で男性ソロ歌手として孤軍奮闘、90年代末〜00年代前半を代表するバラード歌手となった。現在、軍隊服務中のため新譜アルバムはしばらくおあずけとなっている。この曲は予約だけで100万枚と言われたセカンドアルバム収録で、99年のゴールデンディスク大賞曲。ドラマMVにはシン・ヒョンジュン、チェ・ジウに加え本人も出演し香港で撮影された。

 

---(ここまで)---

 

なんせ本文中の「現在」が10年前の話ですからw

しかし、その「現在」になんで99年までの「歌手について」書いているんでしょうね?

90年代後半には、現在(2017年)も活躍中の歌手はいっぱいおりますので、「あの人がいない」「あのグループがいない」とのご意見もあるかと思いますがまあ仕方ない…。概ねいいとこついてるとは…思うので、

何かの参考にでもして見てくださいませ。

 

 


このブログのタイトル写真です。

このご時世に私はスマホを使っていません。ええ、ガラケーですw

理由…安いから。(機種代金を先に払い終えたので、現在毎月の電話料金が500円未満です)

とはいえ、実はiPhone6を機種変更した人から譲り受けたので、厳密には「電話として」使っていないだけでもあります。そんな私なので、長い事、自分のブログがPC版とスマホ版とインターフェイスが違うというのは知っていたものの、実際にスマホ版画面をじっくり見たのはつい最近のことでした。(タブレットではPC版で見ます)

 

で、改めてショックだったのが(いや、それほどのことではない…)

ブログの看板写真がスマホ版だと掲載されていない!ということでした。

 

看板に写真を載せられたり、バックを画像にしたり(していたこともありました)をCSSでコントロールできるのはPC版だけなのです。

 

というわけで、このブログの看板に貼付けてある写真がコレ↓

この写真は真ん中の"少女"イ・ソウン이소은のデビューアルバムのポスター(の一部)です。私の持ち物です。

これを貰った時には部屋に貼ってましたwww

DreamFactoryが社運をかけて(大げさ)発売したアルバムで、このポスターを見てもそれがよくわかるかと思います。両側のおにーさん方(当時32と30)が妙に嬉しそうで微笑ましいです。

 

このアルバムに参加したソングライターは、イ・スンファン、ユンサン、MGR、ファン・ソンジェ、ノ・ヨンシム、Sam Lee…といったそうそうたる顔ぶれに、イ・ソウン自作曲も収録し、やたらとてんこ盛ったアルバムではありましたが、

タイトル曲はコレ↓ 「작별 別れ」(MGR작사/곡)

MGR(パク・ヨンチャン)はユン・ジョンシンとキム・テウ(015Bの客員歌手出身の方)と高校の同窓で、キム・テウ(015Bの方)のバンドMUTANTを経て自分のバンドや015Bの客員歌手も勤め、ソングライターに転身しました。

後に彼がこの曲とイ・ソウンのイメージをがっつりとそのまま持って行ったのがイ・スヨンの「I Believe」だったかな…と思います。この頃、こういうオリエンタル趣味が流行ってたんですね…中華飯店とかね…

 

16歳の少女だったイ・ソウンちゃんも、その後アメリカで国際弁護士となり、最近結婚したというニュースがありました。

イ・スンファンのアルバムでは11集に収録されている「너에게만 반응해(君にだけ反応)」にひっさびさに参加しています。

 

というわけで、今回は単にポスターの写真をスマホでも見せたかっただけなのですがw 

ええ。

 


WE ARE THE DREAM FACTORY! ~イ・スンファン Live in TOKYO~ レポート

大変長らくお待たせしました。(待っていてくださった皆様ありがとうございます)

イ・スンファン工場長東京ライブレポートでございます。

気がつけばもう一週間経ってしまいました。新鮮さも薄れつつありますがよろしくお願いいたします。

 

※2017.5.20「K-POPライブの皇帝 Lee Seung Hwan Live in Japan 2017 ~Big Brother~」東京篇※

 ※ライブの皇帝ってイ・スンチョルだよね、と思ってたらポスターでは「K-POPの皇帝」になってたよw 

 

 

告知からドキドキの1ヶ月半を経て、無事チケットも宅配便で届き、2017年5月20日、いよいよ満を持してこの日を迎えました。

 

→この写真入りチケットが韓国のファンの間で羨望の的となっておりますw

日本でも80年代以降はすっかりチケットぴあとかチケットセゾン(今はもうない)、とにかくオンラインで全国どこでも発券できるチケットになってからなかなか見なくなりましたが、韓国でも教保文庫とかで買っていた90年代はこういうのだった記憶があるけど、今はすっかり珍しくなったそうです。

このチケットを受け取って、豊洲PITの座席表を検索した時の私の気持ちは…

 

…正直言って、ものすんごーーーく落ち込みました。今だから言うけど。暗澹としましたよ…

 

何故なら、端っこだから。去年に続いて、端っこ。

去年とは反対側の、端っこ。いや、厳密には一番端は42番だったか47だったかな…でも大して変わらない…。

まだ日本公演が決まる少し前、こんな夢を見ました。

「韓国からのファンはいなくて、日本在住ファンのみを対象としたイ・スンファンライブに行ったら、客席はガラガラで前の席も誰もいなくて、工場長も歌の途中で席に下りて私の前に直行してくれた。でもステージに向かって右の一番端」

…。 ほぼ、正夢。座席に関しては。

こっ…これでは私の永年の「세상에 뿌려진 사랑만큼」でマイクを向けてもらう野望が叶わないじゃないか!

…これで3日くらい低空飛行を続けました。

 

それでもなんとか前日くらいには楽しみが打ち勝ちまして、当日は意気揚々と東京行きの新幹線に乗りました。

地元の駅で、その時着ていた羽織ものと同じのを着てる女性とすれ違いましたがものともせず(嘘)、

いざ出発、工場長待ってろよ!

 

てな感じで上京したわけですが、東京、暑いよ!

 

あまりの暑さに泉岳寺にとったホテルに着いて身支度をし直して会場へGO。

予定より30分遅れて16時15分に着きました。

 

ほんとは16時前に着きたかったんです。

何故ならNAVERのイ・スンファン公式ファンクラブ(ファンカフェ)のメンバーでイ・スンファンライブ前恒例の「돚자리 공장(直訳:ゴザ工場)」が開かれるから。

実際にはゴザではなくビニールシートを会場の外に敷いて、数人で車座になり、イベントで使う小道具をジッパー袋に詰め込む作業、それが돚자리 공장トッチャリコンジャン。

イベントとは、ライブ中、決まった歌の時に紙飛行機を飛ばしたり(「家族」)、紙吹雪を飛ばしたり(「サランハナヨ」)、巻ティッシュ(トイペを巻き直し)を投げたり(「ムロボンダ」)、「REWIND」と書いた紙を全員で掲げたり(「REWIND」)すること。いわば名物ですし、ファンも楽しみにしています。

今回、大阪在住ファンの韓国人女性が、ファンカフェの総代として主催者側にいろいろ問い合わせをしてくださり、ファンカフェメンバー側にいろいろ呼びかけて下さいました。そこに私も手を挙げたわけです。

 

そのやりとりの大部分をカフェで共有してくださったのを見ていると…

主催者側もイ・スンファン側(Dream Factory)から「そういうのをファンが自発的にやると聞いている」ものの、たぶんどんなものなのかあまりよくわかってないような…どこかやりとりがちぐはぐな…そんな印象を受けました。

が、なにはともあれ「REWIND」はこの曲をやるんだかどうだかが不透明なため、基本の3セットの準備をしようということになり、東京・大阪ともにおよそ700人くらいは観客が見込めるとのことでセットの準備を呼びかけてくれて、韓国のファンが大量に作って準備をしてくれたのです。

今回、来日できないファンも多かった訳ですが、これまでのライブで余ってる分とか、せっせと日本公演のために作ってくれたりしたファンも多くてかなりの量が集まりました。

それを現地で袋詰め。私が会場についた時にはもうだいぶ詰められていましたがなんとかお手伝いに参加しました。日本人では既にインスタで総代の彼女とやりとりをしていたYOKOさんと、去年ライブでお会いしたすみつばめさんが作業中。

650個ほどができたところで解散となりましたが、その後、会場に持って来てくれた韓国ファンもいて…

いやーすごいよDF民(드림팩토리민=드팩민)。情熱だよ。愛だよ…。

 

↓ごみではなく、袋詰めが終ったイベントセット(の一部)

開場まで隣接のカフェで、YOKOさん、すみつばめさん始めファンの皆さんとおしゃべり。

韓国から東京ライブのためにひとりで来たという若い女性がいて、もう翌日にはソウルに帰るとか。おおー、さすがだな!と思いました。去年とは違い、事務所公示の観覧ツアーが組まれなかった今回、どうやらそういうファンが相当数いるみたい。

私も一人で韓国に野球見に行ったなあ。2週間とか10日とか。アノ頃はなんであんなに時間があったんだ…(しょぼん)。

 

開場時間にいっしょにチケットをとったぼぶちんと落ち合い、無事入場いたしました。

今回は物販がありまして、Tシャツ・ダイアリー(2017年版・上の写真参照)・ペーパートイが売ってました。このペーパートイ、実は去年の日本公演記念グッズだったのに日本では売らなかったんだよ…。Tシャツは公演一週間ほど前に韓国内で限定400枚を販売したので、着て来たファンもいっぱいいましたね。うらやましー。

 

席は…やっぱり端っこでしたが、もう入ってしまうと緊張とワクワクが勝ってしまいどうでもよくなってきたから不思議です(完全に払拭はしませんでしたが)

あー、それにしてもどうすれば真ん中の席がとれるんだ…。

去年は最前列と真ん中グループはほぼ韓国からのツアーだったと思うし、今回はどうだったんでしょうねえ。

 

開演時間18時ほぼぴったりの頃、

5月は韓国で季節の女神と呼ばれています。日本もそうですか?」という日本語のナレーションが聞こえてきました。

…ん?この声…工場長???

 

かいつまんで書くと、

「こんな爽やかな季節には会いたい人に会いたくなるので、去年暖かく迎えてくれた御礼を倍返ししに来ました。一番素敵な5月になるように頑張ります」(ほぼこんなこと)

というナレーションの終わりとともに、「좋은 날 素敵な日」が始まっていよいよライブの開始です。

 

めんどーだから先に出しちゃいましょうw

当日のセットリストです。

 

前回のブログで、どのライブをベースにするのか?とあれこれ考えましたが…

結果、「まあ王道だな」的な。

あと、ご本人は「バラードを中心に」と言ってたように全体の2/3は落ち着いた雰囲気で進みましたね。「王道的な”DRY"」的な。

後半のロック的な曲もなんとなく少なかった印象です。

その分、全体的にじっくり聴いた満足感が残ったライブでした。

 

前半のpopやバラードはそれぞれの曲調、それに安定の馴染みのギャグやイベント、さらにお説教wをはさみつつ、ほのぼのと進行していきました。

 

ライブが始まった頃に多くの方が感じたと思うのですが、最初のMCでご本人が言っていたとおり、喉の調子がだいぶ悪いなーというのがよくわかりました。(実は左耳も聞こえていなかったらしいです)

前々よりご本人が調子が悪いと言ってはいたもののここまでとは思わなかったです。ただし、時間が経つにつれ調子は右上がりで、途中からはおそらく普段とほぼ遜色無かったんじゃないでしょうか。

 

 

 

でも、歌っている途中に何度も何度も水を口にする様子は終盤まで続いていたのはやっぱり気になりましたね…。→は水のペットボトルを片手に「물어본다 訊いてみる」を熱唱する工場長。(去年はその水を客席に撒きましたが今年はありませんでしたw)

(→写真提供:ぼぶちん。ぼぶちん曰く、「(この衣装だと)おなかがぽっこりしてるのは美味しいものの食べ過ぎですから!日本で美味しいものばっかり食べてモクスタグラム(먹스타그램。食べ物の写真をSNSに上げる事)ばっかしてるからこうなる」(大意)だそうですw そうそう、うどんとかお肉とか甘いものいっぱいとかねww)

 

そんな中「DRY」でもやったオフ・コースの「さよなら」は、突然始まって、全然聴き覚えがない出だしで「??」となったファンが多かったと思います。やるとわかってたこっちも「おおー!」だったですが、予期してなかった人はもっと「うわああー!」だったのでは。

実は私、この「さよなら」という曲が昔から、それこそこれが大ヒットしていた頃から、あまり好きではありませんでした。

えーっと、有り体にいってしまうと、どっちかというと嫌い。それは当時、あまりにもこれを聴かされ続けたのと、私はチューリップの大ファンだったからw もちっと論理的に申しますと、オフ・コースの歌は、歌の位置と楽器の位置がほぼ同じで、歌も楽器の一部ですみたいなところが苦手だったのです。その点、チューリップは歌の位置が楽器より前に出ていたから好きでした。以前にも書いたと思いますが、韓国ポップスにここまで入れ込むようになったのもまさに同じ理由です。

 だから正直、工場長、さよならやるんだってさ…な情報が入って来た時、「えええ…(がーん)」みたいな反応してしまいました。「DRY」でやったとはいえ、余裕がなくて予習もしてなかったので、ちょっと懐疑的なままの「さよなら」でしたが…結果的にはちょっと感動してしまいました…。てへ。「さよなら」という曲をちょっと見直したというか。

うーん、もしかして昔、財津さんが歌ったら好きになったかもしれない(んなことはたぶんない)

しかしここでもうちょっと驚きの事実を書いてしまうと、私は「천일동안 千日間」もかなり長い間好きではありませんでしたー!

(前にも書いた気もしないではない…かな?)

でも不思議ですねー。今回は泣けましたねー。最近はね、他の人が歌ってるのでも目頭が熱くなりますね。teiちんとか、イ・セジュンとかでも。これが大人になるってゆうことですねー。

 

가족 家族」では工場長自らが「飛行機…」とイベント準備を促してくれるなどwいい感じでライブは進みます。

私はこの「家族」でファンが歌いながら紙飛行機を投げるところを直立不動で見ている工場長、というのを見るのがすごく好きで、この曲のライブ動画を見るときは必ず注目してるんですが、今回時折にっこりしながら見ている様子にこちらもほっこりさせてもらいました。

相変わらず頭に飛行機が直撃してきて痛かったけどw 

(写真提供:ぼぶちん)

 

そして、この紙飛行機は、韓国のファン達が自分たちで作って移民鞄(キャリーケース)に入れて運んで来たという話を工場長ご本人からしてました。なんかもう、それだけでDF民の皆様は本望だったんじゃないでしょうか…。

 


ちょっと待っててねw

いや、誰も待ってないかもしれませんが!

 

去る5月20日に東京で行われたイー・スンファン東京公演。

についての記事。

を書きますので、書きますから、きっと書く!ので

ちょっと待ってて下さいね。お願いいたします。

 

因みに…5月25日0:40現在、8割がた書き終わりました…

な、長い…。ちょっと長いです…。途中で読むのがいやになったらごめんなさい(とほほ)

 

※写真提供=ぼぶちん@くらぶこっこ写真班  ってか いきなりラスト画像かい!w


Lee Seung Hwan Live in Japan 2017

ほぼ月報と化しているブログでございますw

 

第一陣超繁忙期が一段落しまして(このあと6月に入るとほぼ同時に第二陣が来る)、

ようやく落ち着いてイ・スンファン工場長の来日公演について考えられるようになりました…

というか、まあ考えてはいましたけどねw

 

 

チケットも無事に届きましたから否が応でも盛り上がるわけです。

あと数日、体調管理に努めなくては!

 

さて、実は工場長、既に年初に今年のスケジュールとして、

3月末から秋まで活動休止期間を設けると発表していました。

「ただしワールドツアーがあった場合はこの限りではありません」とも。

で、この日本公演が入ったからなのか、ここまで活動が伸びまして、

ついでになのかどうかわかりませんが、4月13日・14日に「DRY」、

15日に「総合音楽セット」を休止前のラストライブとして行いました。

 

簡単に考えると、このどちらかが日本公演の元になるっぽいですよね。

 

「DRY」はその名のとおり、汗をかかずに快適に見るライブ。

選曲も通常のライブではやらないような、ただし「Only Ballad」のようにバラードばかりでもなく、

じっくり聴き込めるけどかなり一般的じゃないwそんな曲を集めたコンサートでした。

…これが元になると思うと、やっぱり微妙かな??

そうそう、オフ・コースの「さよなら」もやりました。

ビリー・ジョエル「My Life」とかも。世代ですなw

半面、「総合音楽セット」はゲストに工場長が招いた後輩バンド達を迎え、

ほぼお馴染みのラインナップをご披露。

今年はまだ、昨年まで繰り広げられた「ORIGIN」のような大規模ライブがないのと、

ワールドツアーwの皮切りでもあり、

一応1000人規模を集める来日公演(それに近いチケットは売れているそうです)なので

この数ヶ月に行われた「Only Ballad」「妖物」(オールスタンディングのクラブライブ)「DRY」のような

ある意味マニアックなコンセプトライブを持ってくるとも考えにくい(※あくまで個人的見解です)ゆえ、

こっちが元になるなら、まあ、アリかなあ…どうかなあ…

去年の新曲2曲ともやってないし…

あまりにも定番な曲ばかりだしなあ…。…。…。

 

…などと思っていたらー

んん?어사그こと「어떻게 사랑이 그래요」がないっ!

どっちの公演にもないいいっ

 

…ちょっとショック。いや、かなりショック…。

 

因みに、この2つのライブで共通のオリジナル曲は「悪女誕生악녀탄생」だけでした。

カバーは「Don't stop me now」(Queen)と「D.I.S.C.O」(オム・ジョンファ)。

 

イ・スンファンくらいになると”ライブでやるであろう曲”の候補が多すぎて、

なかなか一朝一夕に予習もできませんが(してません…すみません…)

 

なにはともあれあと4日。  …えっあと4日か!!!(うーむ)

テンション上げて参りたいと思います。

 

あとは세뿌사こと「세상에 뿌려진 사랑만큼」のサビのとこ、

私にマイクを向けて下さい工場長!

それが大きな野望です(爆)

 


イー・スンファン再び。

すっかり月一どころじゃないペースになりつつありまして申し訳ございません。

そうこうしているうちに、昨年に引き続き、イー・スンファン工場長が

またもや来日公演を行う事を突如発表いたしました。

今回は東京と大阪ですってよ、ええ!

 

 

ご本人と、主催であるA.R.Aさん

(韓流スタアのイベントを開催してる会社のようです。シン・スンフンのディナーショーとか)が

発表したのが4月4日。急だ…急すぎる。

去年は3月4日の公演に対して、ご本人が発表したのが10月18日頃ですから、

およそ4ヶ月半も余裕があったんですが、

今回はチケット先行予約も7日からとのことでもう大わらわですよ!

 

実はワタクシ、母の日と父の日の前後が年に2度の超超超繁忙期という業界に就業しているので、

5月と6月はただでさえ忙しく、前の週までは土曜も出勤なんですが、

運良くこの5月20日は出勤もないので東京公演には行けそうです。

でもって、22日は朝一番で大事な用事があるので大阪には行けません(日帰り無理)。

つまり東京公演が21日だったら行けなかったし(日帰り…えーっと…)、

20日が大阪だったらそれはそれでいろいろな調整が非常に難しい。

一週間ずれていても一ヶ月ずれていても私の立場ではとても行けなかったので、

5月20日東京公演というこの日程は、私のためにあるのではないかとしか思えない、つーか

いやマジで神様ありがとう!仏様ありがとう!両親の墓参りもマメに行っててよかった!と思いましたw

…しかしここまでは私のひとりよがりなヨロコビで、

こんな急な日程のため、昨年は一緒に東京公演に行った”おんに部隊”* 隊長・Sさんは

今回行けないことになってしまったし、今回も参加してくれるというありがたいBさんは

用事をすませてから来てくれるので開演には間に合うかも?なギリ日程。

ほんっとにみんなバタバタしまくりの3日間を送ってきました。

うう、日韓プロ野球スーパーゲームを東京から福岡まで全試合見に行った、あの頃が懐かしい。

 

注* おんに部隊:90年代末〜00年代初頭、ネット上に存在した一団。

      イ・スンファン、The Classic、チョ・ギュッチャン、Toy、015B、ユン・ジョンシンなど

   日本ではアイドルよりも若干年齢が上受けのミュージシャンを

   ”おんに系”と呼び愛する女子の集まりだった。因みに私は副隊長でした。)

  

韓国の公式ファンクラブ(ファンカフェ)も大わらわ。

チケットはどうやって手に入れるのか?(主催者にメールで申し込むそうです)とか、

東京から大阪まで新幹線で18万W??高い!とか(両方見るつもりの方でしょうか)、

予約のメールは先行予約開始時刻に送るの?とか(そうだと思う、という意見多し)、

飛行機とホテルをもう予約した!とか。(ライブ当日韓国から移動の方が多いです)

元々イ・スンファン本人が、4月以降は活動休止すると年始に言っていたため、

(ただしワールドツアーがある場合は其の限りではない、とか…)

5月の予定を入れてしまって日本には行けない…という投稿もありました。

(皆さんどれだけ工場長中心に生活されているのかと感心しました…)

今回はいまのところ、Dream Factoryも去年のようなツアーを募っていないのと、

やっぱりあまりにも急な公示だったので、断念するという書き込みが多いように思うので、

前回ほどには韓国のファンが来日するってことはないのかなーと思います。

いや、でも大阪に行くという書き込みが今の時点では多いんで、

東京よりそっちで盛り上がるかもしれません。もしかしたら。

 

なにはともあれ、明日、自分とBさん二人分を先行予約で申し込んでみます。

一般販売は25日からだそうで、もしそっちより席がアレだったらちょっと泣く(だって手数料高いんだよ…)。

 

あとは恙無く公演が行われればいいなあ。

豊洲PITのスケジュールにも載ったので大丈夫かとは思いますが、

頭の中を下記の言葉がかすめたことを正直に申し上げましょう…。どほほ。

 

工場長 実はときどき 詐欺にあう

 

 

 


「言えばよかった」(W.H.I.T.E)

いや〜、さぼってます。

思えば昨年の今頃は、イー・スンファン工場長来日で浮き足立ってまして、

なんかまめに更新していたような気がします…。

それが一年でこの為体。トホホ。

こんなにさぼってるのに見にいらして下さる方が毎日いらっしゃるのは

本当にありがたいことでございます。

 

でもって今回とりあげましたのは、

以前にもMVを掲載しました曲で申し訳ございませんが

●W.H.I.T.E「말할걸 그랬지(言えばよかった)」

 

ああ、久々の再登場です、ユ・ヨンソク유영석。

昨年からはMBC「覆面歌王」の評定団で毎週出演していて、

毎回豊富な語彙を駆使して出演歌手を誉めている方です。

キム・フングクに「韓国のボブ・ディラン」とか言われてたしw

なんですか、どっかのサイトには「韓国のモーツアルト」とありましたよw

 

 

さて、この歌を聴いてみるとわかるのですが、この方、
発音がはっきりしているので
例えば어音と오音の違いなどよく聞き分けられると思います。

 

 

このタイトルで検索をかけたら、韓国のブログがいくつか出てきました。
この曲のコアなファンの方々の記事で、
あるブログにはこんなことが書いてありました。
…もしかしたら今の若い世代には受け入れられない歌詞かもしれない。
 今は「言えばよかったな」と後悔する時代じゃなくて、
 たとえ振られたとしてもなにか言いたい世代だから…
するってぇとなんですかい、
新旧世代のリトマス試験紙みたいなもんなんでしょうかこの歌は…。

 

 

私が個人的に、難しいなあと思った1文は
「줄 수 없어 쌓여가던 꽃들 시들어 간다고」の部分です。
特に難しい事は書いてない文です。
花をあげたかったけどあげられなかった。
それがどんどん溜まっていってしまった。
その花がしおれていっている。
…そういうことなんだろうなあとは思うんだけど、
それを「詩的に」一行にするのが私の頭では難しい。
ある朝、通勤路を自転車で飛ばしてる時に、
突然ひらめいて「あっ、これだっ」と思ったんですが…
退勤して帰宅したら忘れてました(涙)
その場で書いておかないとダメです、ほんとに。

 

言えばよかった
W.H.I.T.E (lylic:Yoo, Young-Suk) [Malhalgul Geuraessji] '94

 

言えばよかった
僕を気にかけてもくれない君に
この心を捧げたかったのだと
一時はなにも言わないほうが
むしろうまくいくのだと
自分をなぐさめてみたりして

 

だけど今 眠る君を前にして
自分がうらめしくてしかたがない
みんなが君を偲びつつ 涙を流しているけれど
駆け寄って君を抱きしめたい
この想い 誰にもわかりはしない

 

 

言えばよかった 君を愛していると
渡しそびれて溜めていた花束がしおれていくんだと
日記の中 小説のように書き綴ってた
たくさんのこと 君と逝ってしまったよ

 

 

目が覚めると君の姿が思い浮かぶとか
夜更けの街で口づけもしたかったのに
君のバースデイパーティには
夜通しそわそわラッピングした23個のプレゼントを
その腕いっぱいに抱かせてあげたかったのに

 

 

言えばよかった 君を愛していると
まだ君のためになにもできずにいるんだと
日記の中 小説のように書き綴ってた
たくさんのこと 君と逝ってしまったよ

 

 

 

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